A Break Room

Richard Kett の AGikuyu 日本語訳 - キクユ族の歴史と生活


Kett's
Book Project AGikuyu Ein ostafrikanisches Bantuvolk © 2001 Richard Kett の目的は、ケニアのバントゥ語系の部族民の歴史と生活を文章と写真で表わすことです。

Thanks I am grateful to Richard Kett for his vibrant photos and his permissions to have his work on www.hdever.com and to translate the sections from his AGikuyu Ein ostafrikanisches Bantuvolk both into Japanese and into English and place the Japanese translation and the English translation on www.hdever.com. (I dispense with the Mr. as he prefers.)

リチャード・ケット(彼自身の好むところにより敬称を略す)が著わしたドイツ語の原文には含まれていない、私が付け加えた補足説明等は、ブラケット [ ] で囲み記述する。

Die Konsolidierung 「強化」から

絶え間なく変わり続ける生活状況とそこから齎される社会的緊張と他民族からの文化的影響が、キクユ社会に対して、当初から、彼等の社会・政治構造における永続的な変更を強要してきた。

彼等自身が、その口碑の中で、母権制から父権制への過渡期を、彼等の社会的・政治的発展の、当然のことながら、最も重要な時期と呼んでいる。

神話的に解釈された口承におけるそれとは異なり、この著しい進展は、数世紀に渡り広がった生活方法の変化の結果、すなわち、狩猟採集文化から農耕文化への緩やかな移行の結果である。キクユ族が交流を持っていた父権制社会を営む諸民族が、その進行に拍車を掛けた。十七世紀の半ばには、キクユの農耕的で更に進んだ父権的文化が、終局的に安定した。しかしながら、それから現代へと相対的に短い期間であった為か、母権制の本質的な特徴の数々は今日に到る迄保たれている。

Die Anfänge des Kolonialismus 「植民地化政策の始まり」から

十九世紀の半ばに、キクユ族の文明と文化はその最盛期を迎えた。およそ百万のキクユ族の人々が、現在の中央ケニアにある、ケレ・ニャガ [ケニヤ山] の周囲の約 320.000 エーカーの広域に定住をした。高度に発達した農業、肥沃な土壌、土地の海抜高度(海抜1000メートルから2000メートル)、そして、それがもたらす年間 2250 mm までの降雨量を有する温和な気候のお蔭で、キクユ族の全人口を賄う食糧についてはまず大きな問題となることがなかった。

しかしそれにも拘わらず、キクユ族内部の社会的緊張は、人口の増加とそれに伴う土地不足により、頻繁に生じるようになったのである。もしも開始したばかりの植民地化政策のためにこの自然な成り行きが阻止されなかったならば、この種の緊張は必然的に [部族内の分裂にとどまらずその下位集団の] 単一氏族内における分裂をも引き起こしたであろう。出自の部族 [キクユ族] の根幹との関係を徐徐に断ち、ンディア族やマサイ族と驚くほどに同化していったアンブイ・クラン [氏族] の分離の兆しは、既に1850年から見られるようになっていた。

1840年頃に、ドイツ人研究者・探検家・宣教師であるヨハン・ルートヴィヒ・クラプフと共に、初めてヨーロッパ人がキクユ族の中へ入っていった時には、まだ、キクユ族は、よく客をもてなし、心が広く、自ら人助けを買って出る人々と言い表わされている。1880年の探検調査報告書には、フォン・ホーネル [オーストリア=ハンガリー帝国海軍大尉] によって、「彼等 [キクユ族] が皆余りにも友好的であるので、この地で手こずっている行商人達は、自分達自身を責めるべきだと考えざるを得ない。その神経過敏さから、野営のキャンプを設営する前に、必ず威嚇のために数発の発砲をするからではないのか」と記されているが、この発言は、外部の者に対する [キクユ族の] 基本的態度における或変化を既に予示している。

Ursprung und Expansion 「起源と拡大」から

有史以前のずっと昔、神(ンガイ)は、地から水を分け森から草を分けた時に、ギクユ(ゲコヨ)をケニア山(ケレ・ニャガ)の頂上へとお呼びになった。そこで神はギクユにムクルエ・ワ・ガサンガという名前の場所を示された。それは、キクユ族の男の始祖がいちじくの木の下に新しい安住の地 (mukurue) を建てるべき場所である。

ギクユがいちじくの木に近づくと、突然、美しい優雅な娘が現われた。彼はたちまち恋に落ち、少ししてからその娘を妻に迎えて、ムンビと呼んだ。やがてムンビは九人の娘を産んだ。しかし、息子は一人も無い。おまけに、娘達が嫁げるような若い男達は国のどこにもいないようであった。

絶望の内にギクユは再び神に相談をした。神は、ギクユに、彼の妻、そしてもちろん娘達と共に、子羊と若い山羊をそれぞれ一頭、生け贄にして捧げるようにと、お命じになった。供儀の後で妻と娘達を家に連れ帰ってから、ギクユは夜一人で生け贄を捧げた場所へ立ち戻った。大変驚いたことに、そこには九人の屈強な若者達がおり、ギクユは大喜びで彼等を迎え、直ちに我が家へ招き入れた。次の朝、ギクユは彼等を娘達に紹介した。

娘達は若者達と結婚して、多くの子孫をもうけ、その子孫は国中に広がった。

九人の娘達の名前は、今日に到る迄、十(!)の個別のキクユのクランの名前の中に継承され続けている。(キクユ族の伝統に従えば、生きとし生けるものには、正確な数を附与してはならないとされる。それ故、キクユ達は、此の場合、「満ちた九 Full Nine (kenda maiyura)」について、実際には「十 Ten」という意味をもって、言うのである。)

1. Wanjeri - the Aceera-Clan の母
2. Wanjiru - Anjira-Clan の母
3. Wambui - the Ambui-Clan の母
4. Wangui - the Angui-Clan の母
5. Wangechi - the Angechi-Clan の母
6. Wambura - the Ambura-Clan の母
7. Wanjiku - the Agaciku-Clan の母
8. Wangari - the Angari-Clan の母
9. Wamuyu - the Aicakamuya-Clan の母
10. Wairimu - the Airimu-Clan の母

残念ながら、この叙情的な起源神話は、キクユの「生まれた日」を歴史年代的に決定するためには、全く役に立たない。我々がこの神話から推断できるのは、せいぜい、地理的に確認可能なムクルエ・ワ・ガサンガ周辺の地域が、キクユ族の進化において、少なからず意味を持つ或役割を演じたということである。

キクユ族の起源は、今日のメル行政区の北西部に十二世紀以前に既に定住していたバントゥ語系のサギク族に、やや現実的に、遡れる。1450年頃、サギク族は、社会的緊張、天災、ガラとソマリの北クシュ [クシ] 語系の人々の前進をその最も考えられうる原因とする、人口の大移動によってかき回された。この人口移動の結果、サギク族は幾つかの氏族に分離した。やがてこの諸氏族から、それぞれ独立しているが、言語と文化においては密接な関係にある民族集団が、生まれたのである。いわゆるケニア山の人々である。それらの集団とは、CicuguEmbu [エンブ族]Gikuyu [キクユ族]Kamba [カンバ族]Meru [メル族]Ndia である。

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リチャード・ケットが挙げる参考文献

J. Adamson, The Peoples of Kenya; London 1967
C. Cagolo, The AGikuyu: Their Customs, Traditions and Folklore; Njeri 1933

von Höhnel, Zum Rudolfsee und Stephaniesee. Die Forschungsreise des Grafen Samuel Theleki in Ost-Äquatorial-Afrika; Wien 1892
I. N. Kamau, The Problems of Social, Political and Economic Integration in East Africa; Warschau 1989, unveröffentlicht

L. S. B. Leaky, The Gikuyu, Vol. I - III; London 1976
R. Mwangi, Kikuyu Folktales. Their Nature and Value; Nairobi 1970
E. N. Mugo, Kikuyu People; Nairobi 1982

W. Manshard, Afrika südlich der Sahara; Frankfurt 1974
G. Muriuki, A History of The Kikuyu, Nairobi 1974
B. A. Ogot (Herausg.), Hadith, Vol. I; Nairobi 1968
C. S. Rosberg, The Myths of Mau Mau: Nationalismn in Kenya; Standford 1966

H. Sheikh-Dilthey, Kenya; Köln 1981

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