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拙稿 節談説教に見る蓮如」、
『国文学 解釈と鑑賞』第63巻10号

(至文堂、1998年)

拙稿 交感の芸能性」、
『藝能』年刊第七号 [通巻四百二十四号]

(藝能学会、2001年)

拙稿 節談説教に見る蓮如, 交感の芸能性

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この1998年と2001年の拙稿において、私は「浄土真宗大谷派」と述べている。しかし、それが誤った名称であることが、2002年6月1日の佛教文学会における関山和夫博士の講演「中世以降における唱道の展開」を拝聴した際に判明したので、私の誤りであったことをここに記す。「浄土真宗大谷派」という正式名称はなく、「真宗大谷派」である。

以下のことに留意されたし。

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  3. 発表時の拙稿には含まれていない補足説明等は、ブラケット [ ] で囲みグレイの文字色で、あるいはブラケットなしのグレイの文字色で、記述する。
  4. 同様に、引用文中のブラケット [ ] 内のグレイ文字色の記述も、私による補足説明等であり、引用した原文の著者による記述ではない。
  5. 註番号がアラビア数字 ―註(1)、註(2)、註(3)― ではなく、ローマ数字によるもの ―(I)、(II)、(III)― は、新たに加わえた註記である。

『国文学 解釈と鑑賞』 第63巻10号、至文堂、1998年

節談説教に見る蓮如 —祖父江省念師「口伝の蓮如」をめぐって—

ディーバー仁美

はじめに

呼びかけてやまぬ如来の招喚の声の中で、「聞法」「聞即信」こそが、浄土真宗の全化導の根底に流れる態度であった。節談説教においては、語り手と聞き手との間に繰り返される宗教的コミュニケーションの呼応の中で、この両者の思考や言語の周囲に外在する、もっと大きな意味の枠組みから発するものをも含めながら、交感が立ち現われてゆくのである。これは、その「聞法」「聞即信」という全化導の根本的態度にまず起因するのであろうが、やはり、節談説教の歴史に大きく係わるものであると思われる。すなわち、民衆が自分達に届く言葉や表現を求め、それに応えるかたちで節談説教が磨かれてきたという歴史である。その伝統的とも言える呼応の仕組みは、実際の説教の場における、説教師と聴衆との共同作業、或いは、両者の合作となる、見事な節談説教へと繋がっていくのである。

ここに、蓮如を見るということは、説教者によって表出された創作のかたちを見るだけではない。人々が、蓮如をどのように仰ぎ慕い、その生涯を讃えようと願ったか、或いは、蓮如という個像を以て、どのように自分達の身に引き当てて、その尽きぬ思いを語り伝えようとしたかという、民衆の表現し得る自分達の心の現われとしての蓮如像を見ることである。

一、蓮如生誕の位置づけ

「口伝の蓮如」(以下これを「口伝」と記す)は、『御伝鈔』下巻六段目を引きながら、宗祖親鸞の往生の場面から語り始める。親鸞は、その臨終に際して、常随眤近の蓮位に不可解な言葉を残したのである。すなわち、今は仏法が繁昌しているが、軈て念仏の火の消える時が来る、よって時機相応に自分は再びこの世に現われて念仏を弘めねばなるまいと。そして、親鸞なき後一世紀半を経て、本山の家老下間法橋が夢を見るのである。

「こりゃあ御真影さまではござりませんか、こんなむさ苦しい私の寝間へ御真影さま、どうして御出まし下さったのでございましょうか」と、お尋ねを致しますとにっこりとお笑いあそばした御真影さまが「其方の先祖の蓮位に約束を致せし親鸞、恥ずかしながらまた来たぞよ」とのお言葉、「うぁーっ、堪り兼ねてこの世にまた再び御出ましを下さったしてみれば、先祖の蓮位が書いて残いてくれたは嘘ではなかった、アアー御苦労様なことじゃ」と泣いておりますと、〔中略〕 只今御本山で男の子の御子様がお生まれになったすぐさま来いよのお使い、取るものも取り敢えず本山へ馳せ参じますると、今夢の中で拝み奉った御真影さまのお顔立ちと、お生まれになったこの赤ちゃんとが同じお姿同じお顔立ちを考えまして、「あぁーあぁ、これは唯人ではない。御開山様が堪り兼ねて、この裟婆に再び御出ましを下さったのじゃ」……。

蓮如は親鸞の教えを改も曲もなく受容した真の後継者であるという伝統的見解(1) は、蓮如が親鸞の生まれ変わりであればこそ、口伝において完全な像を結ぶ。しかし翻れば、前田惠學氏が「蓮師前」の提唱として、本願寺教団における蓮如の位置の不安定さを、一般寺院本堂にその定位置がないことを以て例証するように(2)、さらには、泉惠機氏が触れる「蓮如離れ」という近年の教団史、或いは、その時代時代の教団の指向性(3) があるところの蓮如像(たとえば「貴族的なもの」)との対比によって、人々の側の蓮如像が一層明らかになるであろう。教団における蓮如評価の変遷とは別のところで、人々の蓮如に対する頑固なまでの熱い思いをもみるべきである。

蓮如を祖師親鸞の再誕であるとする見解は、『御一代記聞書』の第十二条にもみえるが、ここでは、「たとえば、木石の、縁をまちて火を生じ、瓦礫の、□をすりて玉をなすがごとし」と『報恩講私記』の言葉が引かれ、蓮如の一流の再興とは如何なるものであるのかということが、慶聞坊によって押さえられている。つまり、枯れ木が火を生じ、瓦や石ころが輝き出すという言葉の如く、実に本願によって救わねばならぬ、本願が救おうとしている末代の在家止住が、蓮如の教化を通して光を放つような存在になった。その教化が本願の機を覚醒せしめる縁となったのである。それが、蓮如の再興ということの意味内容なのである(4)

二、蓮如の悲しみと生母

生母は六歳の蓮如を残して去った。この生母については様々な伝承が生まれたのであるが、それらの伝承の核心は、生母の出自の身分の低さであるとされている(5)。「口伝」においては、出自不明の西国の人であり、その身分も明確に語られてはいない。また、生母は石山観世音菩薩の化身とも伝えられるが、「口伝」では石山観世音菩薩はその象徴となる。

後の程石山の観世音菩薩の御前に、この引き千切って来られた鹿子の小袖の片袖が、納めてありました、おそらくは、「この幼い麿が潰れかかっておる念仏の教えを御開山御在世当時のように、盛んに致そうと努力を致します。どうぞ観世音菩薩、お力添えを下さるよう、どうぞお力を貸して下さるよう」と、お願いをあそばして……。
……えー物持たずしては施されず真の信心が御正意でなかったならば人に教化をすることはでけんという思し召し何方かにこの安心をお調べが願いたい、かねがね何方がよかろうか何方がよかろうかとお考えになっておりましたが、ふと浮かんだのが石山の観世音菩薩、お母様と大変な深いご因縁があると思し召して、この観世音菩薩に我が安心が御正意であるか御正意でないかをお調べを願おうと……。

「口伝」が強調するところは、まず第一に、生母との別れという愛別離苦の耐え難い悲しみであり、第二に、右にも明らかなように、生母の願いと導きによる浄土真宗再興への道標である。佐賀枝夏文氏は、生母が夕刻に裏の戸口から出ていく別れの場面を記す『御一期記』第三条を挙げ、そこにみられる情景を蓮如の心の原風景の一コマとして捉えながら、「蓮如が民衆に絶大なる信頼と、共感を得て受け入れられるのは、夕暮れのあやうさを持ち続けて生きたからではないだろうか」とし、「それはいつの時代にも共通する『民衆の悲しさ』にも通じ、共に生きている実感をともなうからである」と述べている(6)。「口伝」においてその悲しみは、「死別に勝る生別、生木の枝を裂かれるような悲しい思い」と第一話で表わされた後に、「ああー、□この蓮如、前生如何なる種を蒔きしや□ら、幼い時には死別にまさる生別産んでおくれたお母様とは生木の枝を裂かれるような別れ方」と、第八話で蓮如自身の口で繰り返される。

このように、「口伝」は「悲」の面に輝くものであるが、その一方で、蓮如が生母と尾道でおそらく再会を遂げたであろうという叙述がある。これは、『御一期記』第四条の生母の消息を訪ねる一文にみられるような、別れた母への思慕の念に応接して、是非とも二人を会わせてやりたいという、人々の希求が働いた為ではないであろうか。

三、御文の制作

「口伝」では、「聖人一流の御文」を始めとして、「无上甚深の御文」、「信心獲得の御文」、一帖目第八通(吉崎御坊)の御文、「白骨の御文」、「大坂建立の御文」など、蓮如の次々と『御文』を制作したその状況や来意が語られていく。石山の観世音菩薩との問いつ答えつ答えつ問いつの問答で出来上がったのが、「聖人一流の御文」であるが、

これを紙に書いて読めば読むほどありがたいこれが御正意だ、これが御開山様の腹底じゃと思し召して、それを読みながらあの高ーい石段を泣きながら、読んでは泣き読んでは泣き下りてお出でになりました。そこの石段の下に道西という、お弟子がおりまして〔中略〕今できたばっかの「聖人一流の御文」、手に取って読んでみる内に、「うぁー、尊やぁ、ありがたやぁ。□これ金言なり、これ聖教□なり」「何を言うぞ、金言というのは、仏さまのお知らせになったお言葉を金言と言う。光を放つような高僧のお書きになったものを聖教と言う。蓮如ごとき者の書いたものを、金言だの、聖教だの申しては畏れ多い、今後如何なるものをこの蓮如が書こうとも唯『文』と言え」。ここに「御文さま」というお名前がつくわけであります……。
「无上甚深の御文」とは、蓮如がサクジという農民に仏法を聞かせんが為に自ら麦を刈ったところ、この男は懺悔して教化を受け、麦を全部蓮如の許へ納めたその礼に書かれたものであるという。「信心獲得の御文」は、紀州冷水浦の喜六太夫というよろこびての今か今かの臨終の枕辺で、切羽詰まって書かれたものであるが故に、「それ」とか「そもそも」という常套の語り出しがないものとなったというのである。また、「白骨の御文」とは、蓮如の三番目の内室であった如勝尼が難産で苦しんだあげくに死去し、加えて朝生まれた子供もその夕べには死ぬという、悲しみの中で書かれたもので、蓮如の肉声を以て「無常」が語られるのである。

このように『御文』は、教化伝道の新しい手段方法として、当代民衆の言葉で簡潔かつ具体的に語られ、親鸞の教えの現代化、現代訳化(7) をなした、「よみちがえもあるまじき」ものであると解されている。「たすけたまえとたのむ」「後生の一大事」などの、時代に即した蓮如自身の生きた言葉を以て、一貫して信心の肝要なることを説き、繰り返し信心を確かめ、信心の体である南無阿弥陀仏の「こころ」と「すがた」とを語り告げるものであった。それ故に、「ただ御文をお書きになるその御文を読んでよろこぶ人が十人なり二十人なり、アーァありがたいというので、蓮如上人が何百人とできるわけであります」と、「口伝」において述べられることとなるのである。

蓮如を「蓮如上人」ではなく「蓮如さん」と親しく呼ぶことも、この『御文』を抜きにしてはあり得なかった(8) 人々の心情であろう。多くの研究者によってその二面的行実が論ぜられてきた蓮如であるが、「口伝」に託されたものは、やはり民衆の「蓮如さん」である。王法と仏法ということよりも、人々にとって避けようのない「生活」の中で、日常の些事までをも引き受けるその蓮如像があればこそ、人々は安心して生きていけると感じるのである。「口伝」中の蓮如は、その生き方や教化においても、決して二面性をみせる存在ではないのである。

四、蓮如の人格的一佛

関山和夫氏は、説教史上の蓮如の業績を高く評価し、「後世の真宗説教の基盤を作り上げたものは蓮如であった」とし、また、説教において「阿弥陀如来と衆生との関係を親と子の愛情関係にたとえる真宗の説教の方法」について言及している(9)。したがって「口伝」においても、如来を「付き添いづめ御護りづめ」の親として捉える表現は、随所にみられる。さらに、既に加藤智見氏が『御文』について指摘するところ(10) であり、繰り返しとなるが、蓮如自身如来を極めて人格的に把握している。つまり、「阿弥陀如来御自身が偏に我々の為に申し訳のないほどの御苦労をなさっている」というのである。「口伝」においては、別れた生母の願いと導きということも、親子の情愛として、共に重なり合いながら一つになるのである。

さて、蓮如は、その臨終を迎えるにあたって山科の本願寺へ戻り、親鸞の真影との対面を果たすこととなるが、

丁度この、金障子の敷居に手をついて、涙ながらに「御真影さま、〔中略〕ありがとうございます。私はあなたのお膝下で、今生のお別れをさして頂く、こんな幸せが何処にありましょうぞ」「まぁーお疲れでございますから、どうか寝床へ入って下さるよう」「いやいや、まだまだ。なんにも仰らんけどな、御真影さまは儂の胸にはなぁ、『よう来たなぁ、よお戻って来たのぉ、身体に長刀傷まで負わされて、儂を命まとうに守ってくれた、あーぁありがたかったぞ』と、儂の胸にはひしひしと、御真影さまが、呼びかけて下さるように儂は感ずる。昔から言うじゃろ、□なにごとのおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼ□るる。泣かずにおれん」。昔の時間で一時半と申しますから今の時間では三時間、御真影の前で……。

ここにみられるのは、一切の仲介なしに直接に対話を続ける蓮如の「聞く」姿であり、また象徴的には、出発点であり帰着点であった「親鸞へかえる」ということ、そして、終始一貫して親鸞における「信」に依る、念仏者蓮如が立つところの明示である。したがって、この真影との対話は、そのままに、人格的一佛と「聞法」から生まれた妙好人蓮如との対話としても、捉えられるのである。

源了圓氏は、蓮如の「六字釈」の展開が、如来と衆生との関係を人格的関係へと変貌させ、両者の対話を引き起こし、その新しい六字釈と機法一体との結合が、両者の関係をさらにダイナミックなものにしたのだとする。つまり、「我」と「汝」の関係の成立により、一般化した信者と如来との対話の中で、如来は「如来様」「如来さん」になり、果ては「親様」になる。そして、「彼らにおいては、如来との尽きるところのない対話は、彼らを自分自身との対話に導き、彼らを教団の長としての蓮如があらわに示すことのなかった『自分自身』との対話の率直な表現者にする」(11) のである。それでは、「口伝」にみる蓮如の率直なる発話に導かれ、人々は如何なる表現者となっていくのであろうか。蓮如はその臨終の床で、

「何を読みましょう、〔中略〕『末代無智の御文』でございますが、これを読みしょ」「ああ、末代無智はありがたい。読んでくれ」、そのお弟子が、□末代無智の、在家止住の男女たらんともがらを、心を一つにして、阿弥陀仏と深くたのみまいらせて、さらに余のかたへ心をふらず一心一向に佛助けたまえと、申さん衆生をばたとえ罪業は深重なりとも、必ず阿弥陀如来は救いましますべし、これすなわち第十八の念仏往生の誓願の□心、一言一言、「やれ尊や」「やれありがたや」と、軈て蓮如さまが、儂が書いた御文じゃ、儂が作った御文じゃ言わずに、「御文は彌陀の直説じゃのぉ。□十劫已来呼んで下さる大慈大悲の親さまの呼び声□じゃ。あーありがたいの、もう一度、読んでくれ、もう一度読んでくれ」……
と、そのあり方を伝えていくこととなる。

五、御同朋・御同行とも同行

蓮如が、「聖人の仰せには弟子一人ももたずと、たゞともの同行なり」(『空善記』)、「開山は御同朋御同行と御かしづき候に、聊爾に存ずるはくせごと」(『実悟旧記』)と、常に門徒大衆を御同朋・御同行として尊びいつくしみ、心遣いをもって、平座で対応したことは、よく知られているところである。門徒に対するこの蓮如の姿勢は、研究者諸氏によって同朋精神に立脚した蓮如の真宗再興のあり方として述べられているところである。「口伝」では、第十話「御往生」において、その精神が伝えられている。

その五人のお子様が枕辺にお座りになりますと、今か今かのご重態の中から、〔中略〕「かまえて、兄弟仲良くすべし。信心あらば兄弟自ずから仲良くするは当然なり。□これまた、宗祖親鸞聖人の御教繁昌するはもちろんな□り。兄弟仲良うしてくれよ。仲良うするのには信心がなくては仲良くでけん。信心のある人々ならば、どんな他人でも仲良うできる。御同朋じゃ御同行じゃ。だから信心あらば、自ずから兄弟仲良くするということは当然のことじゃ。そのことがそのまま親鸞聖人の御教、念仏の教えが、繁昌するはもちろんである」。お聞きになったお子様方はホロホロ涙に暮れながら、深く心に、このお言葉を、しかと抱き締めて、あぁーっと頷かっしゃった。それをお眺めなさった蓮如さま、こっくりと頭下げて……。
この精神の下で、あらゆるコミニケーションが全人格的な実存的交流に転化する。親鸞を仰ぎ、御同朋・御同行とも同行なるべきものとの自覚的な同朋精神において結ばれ、しかし何よりもまず自らが深く心底に頷いた「信」への確信を以て生きる世界に、蓮如は、一宗の繁昌ということを凝視したのである。

おわりに

もし宗教が、これは佛についての学である、神についての学であると、その教えを「佛のこと」「神のこと」として、余りにも観念化し体系化するのであれば、そこでは、「人間のこと」(12) としての経験や問題が離れゆき希薄化するばかりである。しかし、そうした状況が起ころうとも、人間は、一切の儀礼的なものに対する感性を喪失しないかぎり、そこに呆然と立ちつくしてはいられない。自分の本当の名前を、或いは、自分が何者であるのかを求めながら、究極性へ向かう人間の関心が、我々をして表現せしむのである。それは、単に共通の価値観や世界観の中で安住の場を見い出すだけのものではない。その集合的探索と集約の果てに現われる、より個人的な究極性への飛躍のリチュアルなのである。

「口伝」において、蓮如が「聞く」究極性から発せられる語りかけは、個人における阿弥陀仏との一対一の世界であり、遡れば、親鸞において「ひとへに親鸞一人がためなりけり」(『歎異抄』)という彌陀の本願である。「口伝」の世界では、具体的・直接的に人間の経験と問題が発現し、超越的基準を以てそれらをからめ摂る力の方向性が生起する。しかしながら、この「口伝の蓮如」は完成されたものではない。それは、常に生成され、創造されつつあるものなのである。人々は、この「口伝の蓮如」を自らの表現として解釈し、或いは、自己の表現として新しく作り出してゆくのである(13)

〔註〕

(1)スタンリ・ワインシュタイン「蓮如思想における連続性と変化」(『蓮如の世界 蓮如上人五百回忌記念論集』大谷大学真宗総合研究所編、文栄堂、平成十年)。
(2)「教団確立の基礎 ー蓮如上人の位置づけー」(『蓮如上人研究』蓮如上人研究会編、思文閣、平成十年)。
(3)「蓮如生母の出自の伝承について」(前掲『蓮如の世界』)。
(4)廣瀬惺『御文聞書』第一巻(真宗大谷派能登教区、平成十年)。
(5)泉惠機前掲論文。
(6)「蓮如上人のこころの軌跡 ー喪失体験をもとにー」(前掲『蓮如の世界』)七六一頁。
(7)出雲路修「御文の成立とその文章表現」(『蓮如上人の歩んだ道 蓮如上人に学ぶ1』、真宗大谷派宗務所、平成九年)。
(8)平野修「真宗教団の形成(二)シンポジウム」(前掲『蓮如上人の歩んだ道』)。
(9)『説教の歴史的研究』(法藏館、昭和四十八年)四〇一頁及び二五九頁。
(10)「蓮如における教化の特質」(前掲『蓮如の世界』)。
(11)「後期蓮如と妙好人赤尾の道宗」(前掲『蓮如の世界』)二九六頁。
(12)藤本浄彦「二 救済と解脱 宗教経験としての生成・摂化への試論」(『宗教の哲学』、北樹出版、一九八九年)。
(13)八木誠一「親鸞における『信の根拠』をめぐって」(『仏教 特集=親鸞』、法藏館、一九八八年)。

〔付記〕

ここに引用した「蓮如上人御一代記」は、祖父江省念師「口伝の蓮如」(節談説教「蓮如上人御一代記 口伝の蓮如」、カセットテープ全5巻、テイチク株式会社)によるものである。故祖父江省念師の孫祖父江佳乃氏には、祖父江師の伝える蓮如像について、御教示に与った。記してお礼申し上げる。
(ディーバー・ひとみ 芸能研究家)

[私の修士号は大正大学から1997年3月15日に取得。主査:藤井正雄先生 (宗教学)。副査:山ノ井大治先生 (宗教学)。学士号は実践女子大学から取得。指導教官:三隅治雄先生 (民俗芸能学)。]  About Me

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『藝能 年刊第七号 (通巻四百二十四号)、藝能学会、2001年

交感の芸能性 —節談説教をめぐって—

ディーバー仁美

はじめに

名号は、如来願心の開顕であり、阿彌陀佛を信ずる機、衆生を救う法である。また名号は、如来招喚の勅命であり、勅命の聞き開かれた信心のすがたである。「如来は我なり。されど我は如来に非ず。如来我となりて我を救い給う」。坂東性純氏は、この法語を、名号による救済の究極を道破したものであるとする(1)。しかしながら、節談説教の場に「名」を見るということは、純粋教義の教学の下に絶対化された「南無阿彌陀佛」から微妙にずれたところで、人々の決して一様ではない「なむあみだぶつ」の姿と心とを見ることとなるのである。

その一つが「受け念仏」である。情念の説教と言われ、苦悩に満ちた人間社会の底辺に生きる人々の心的・情意的エネルギーの発露であり、信仰や祈念を背景とした庶民の感性と情操の結晶とも言うべき節談説教の、それは、生命の情動のしるしである。

一、祖父江省念師の節談説教

「あらゆる辛酸をなめながらの説教一筋の生活」「日本仏教伝統の節談説教を現代に継承する正統説教者、独特の美声によるすぐれた表出力は、現在日本一の評判が高い」(2) とされながら、平成八年一月に、その使命を全うしての往生を遂げた祖父江省念師は、歴とした浄土真宗大谷派の布教師であり、優れた宗教家である。省念師は、断じて芸能者ではない。しかし、師が日本の話芸(落語、講談、浪曲等)の源流である節談説教を現代に的確に伝えていること、そして、師の名説教には伝統的な説教者の条件が整い、それが「法芸一如の真の姿」(3) の現出であることは、文化史的な高い価値と芸能史における大きな意味を持つのである。

省念師の説教(4) は、人間生活の機微を穿って聴衆を笑わせる。この笑いは、聴衆の心を惹きつけ一喜一憂させながら、笑話として止まるのではなく、「法」に合わせて語られるのである。

儂の近くにな、まー、ころっと死にてぇーでっちゅうて、〔ポックリ寺へ〕三遍まぁった奴が今中気で寝とるがや、……平生が大事だで、そういう嫁を、あんな者にはめんどう見てもらわんでもいい、俺ぁポックリ死ぬでっちゅうてやっとるが、中気になって今寝とる婆さ毎日泣いとるわ、なんでやったら、おしめ換えるたんびにやな、今の嫁さん利口じゃで、昔の嫁さんならパンパン尻叩くで、音がしるえ、隣近所が評判になるわ、今の嫁はそんなことやらんの、おしめ換えるたんびに平生の憎しみが、この時とばかりに、キリー、キリー、ええわ婆さま言語障害だで物もよう言えせん声も出ん、アウッアウッアウッアウッアウッアウッ、ほいで娘が来て「この尻の黒いのはなんでやも?」「そりゃ寝だこでしょ」って、平生が大事やで……。

省念師は、人々にとってごく身近な興味深い事柄を材料とし、それを具体的に、ユーモアを交えながら、聴衆に向かい滔々と話しかけていく。それに対して聴衆は、一々頷いたり、或いは、驚いたりしながらも、大笑いを繰り返していく。夫婦、姑と嫁、病気、金の問題等、次から次へと話は別々のものへ移っていくかのように聞こえるが、実は、同じことを語っているのであり、それらから導かれる先の焦点は一つである。そして、聖人伝や説話から引く話が語られ始め、その譬喩因縁談が佳境に入るにつれ、聴衆は目頭に涙を浮かべてゆくのである。

いただきました御真影を源右衛門は、「アア御真影様お返り下さいましたか、お供をいたしましょう」と、背中に御真影をしょう、可愛い倅源兵衛の生首を風呂敷包みにいたし、前に掛けながらヨロヨロヨロヨロと、後眺めては「ご恩尊や、お慈悲嬉しや南無阿弥陀仏」、前に掛けたる倅の首眺めては、恩愛の情遣る方なく「せがれかわいやなぁー、俺ばかりが恩愛の情に泣くのじゃない、御開山様でものう御和讃の中に、『一切菩薩ののたまはく我ら因地にありしとき、無量劫をへめぐりて萬善諸行を修せしかど、恩愛甚だ絶ち難く、生死甚だ尽き難し、念仏三昧行じてぞ、罪障を滅し度脱せし』」、どんな苦行よりも、どんな難行よりも、恩愛の情を断ち切る苦しみは耐えられなんだのお知らせじゃが、まして凡夫の源右衛門、せがれかわいてかわいて、泣かずにおれんわやと後眺めては御恩を喜び、前を眺めては恩愛の情の涙を流しヨロヨロヨロヨロと歩いて帰ってくる……。

歌うが如く語るが如く、省念師の美声は益々冴え、話の高潮に随って韻律を帯び、いつしか話が節となる。日本語の特質を生かし、七五調のリズムを基調とする聞かせどころである。きちんと踏まえられた宗義、巧みに導入された法語や和讃を以て、省念師は、その美声による絶妙な節まわしで、聴衆の心の中へずっと入り込んでゆく。人々は、その見事な節に自らも乗り、陶然と酔いながら、感動し感謝し、その宗教的情熱の中、感極まって念仏が口を吐いて出るのである。この「受け念仏」が湧き起こる頃には、省念師と聴衆とが一体となって輝き合う感応道交の世界となり、両者の見事な懸け合いの呼応の中で、話は否応なしに高潮し、一層の迫力をもって展開されるのである。

「アー御伝鈔はありがたい、御伝鈔はありがたい」と〔聴聞者が〕こう言いますから、私が「御伝鈔のどこがありがたい」、こう訊いてやると、「あの節がなんとも言えませな」なんて節ありがたがってる奴がおる……。

省念師の絶妙な節まわしは、人々の心を揺さぶる。師の説教は、単に言葉を伝えるだけのものではなく、聴衆の耳について離れぬような美しい音声の表出である。一般に説教に際して緩急抑揚は、話材の内容と相まって或切迫感さえ感ぜしむという大きな役割を持つのであるが、それは、説く者からのものであると同時に、受けとめる側のものによるところも大きいのである。

発話の質の交代もしくは話す主体の交代への明示については、既に柳宗悦氏によって言葉の「模様化(韻律化)」(5)、ミハイル・バフチン氏によって「他者の発話を分離する抑揚」(6) として、指摘されているところである。このことは、Fushidansekkyo Material 1-a において明らかなように、省念師の説教の節づけにおいても認められる。つまり、話が節となれば、そこに人々が聞く声は、もはや説教者のものではなく、佛のものとなるのである。

如来の「代わり身」は聴衆をして、今この時に、彼らの存在もまた、彌陀の働き、その誓願力の廻向に担われていることを親しく体験する悦びに酔わしめる。その大役を説教者と共に担ったのが、或いは彌陀の誓願を、或いは如来の音声をそこに現わす節談説教の「節」であったのである。

浄土真宗の信者について「聴き(聞き)上手」ということが認められている。これは、浄土真宗の「聞法」「聞即信」という全化導の根本的態度にまず起因するのであろうが、やはり、節談説教の歴史に大きく係わるものであると思われる。すなわち、民衆は自分達に届く言葉や表現を求め、それに応えるかたちで節談説教が磨かれてきたという歴史である。その伝統的とも言える呼応の仕組みは、実際の説教の場における、説教師と聴衆との共同作業、或いは、両者の合作となる、見事な節談説教へと繋がってゆくのである。

さて、省念師は、「囃す」という言葉を使っている。

儂の檀家にね、加藤はるという婆さがおる、〔中略〕うちの報恩講という行事にね、「まぁーりたいけど先生、まぁーれんで悲しい」って電話かけてくる、「なんでまぁーれん」って言ったら、「神経痛でもうどうにも動けんで」、「お前のような丈夫ぃ人が、ちょっとも病気したことない人が、あーそんな病気になったか、まぁええわ。仕方がなぁでな、エー午前十時、午後は一時、お勤めが始まるで、そっからよう囃しとれよ」……。
囃すということは、民謡のお囃し [掛け声による言葉の「囃子」] やその他の民俗芸能における囃し方を想起させるものである。「はやす」という言葉は語源的には霊魂の分割・増殖を意味し、ハヤスことによって霊威が全体に行き渡るとされる(7)。また、関山和夫氏は「あどを打つ」ことの効果を挙げているが(8)、いずれにせよ、聴衆のナムマンダブナムマンダブというあの「受け念仏」が、同様に担っている役割は、さらに重要であろう。
[補足音声資料 U「受け念仏」の例
「受け念仏」の例として、30秒弱の非常に短い音声資料です。

- 補足音声資料 U「受け念仏」の例 AIFF (Kind: AIFF Audio, Data Size: 396.2 K, Data Rate: 14.3 K bytes/sec, Duration: 00:00:27.18)
- 補足音声資料 U「受け念仏」の例 MP3 (Kind: MP3 Audio, Data Size: 538.3 K, Data Rate: 19.4 K bytes/sec, Duration: 00:00:27.19)]

二、交感と〈リミナルな言語〉

阿彌陀佛が曾て法蔵菩薩であった時、一切衆生の救済の為、四十八の願を発し、その願の成就なしには「正覚を取らじ」と誓い、五劫という永い間思惟した。遂にその願が成就して、一切衆生残らず往生しうる極楽浄土ができ上がり、法蔵が自ら佛と成ったのは十劫の昔である。「大無量寿経」に語られたこの物語から、佛の救いの真実が汲みとられてきたのである。

節談説教は、「神話」(「阿彌陀佛の救済の物語り」)を語ることばである。説教の場において、説教の行為そのものが奇蹟の高調の時(9) ともなりながら、「神話」の現出ないしは現在化が起こり、人々の「救済」がなされるのである。したがって、この「神話」は、決して完結し完了されたものではない。語り手と聞き手とが共に属する「今ここに」[「いま」「ここ」に]、開かれた未完のものとなるのである。

節談説教の場では、五感を活用することによって「神話」を聞くことがなされるのであるが、聴衆がもし何かを感受し、それを表現したいと欲するならば、「傍観者ー執行者体系」(I) の中に、ただじっと黙していなければならぬということはない。あらゆる音声言語によっても、あらゆる身体言語によっても、彼らのコミュニケーションは成り立つのである。彼らは、言語表象的合法性にも、つまりは、発話(10) の構造のルールにも従う必要がないのである。この外的自由さは、人々の内的世界へと結びつきながら、思想や言葉の限界ぎりぎりのところに在る自由と率直さを、彼らのものとすることを可能ならしめる。現行の公的日常の支配から意識を解放し、そこで支配的な如何なる構造や枠組みにも納まらない自己の新しい世界像を明らかにすること、それは、「民衆の思想と言葉」の形成なのである。聴衆は、感受するままにその世界を表現することを許され、或いは、彼らの率直なる表現が求められて、節談説教に参与するのである。この点において、節談説教は人々の「祝祭」である。

とはいえそこには、「聞法の場」という意味づけがなされ、あくまで「法」を戴く立場が貫かれることによって、説く者と聞く者とが「法」の前に一味となった「同入和合海」を説教の場に現出すべく、正しき「神話」の遡及と秩序とが頑固に保守されていかねばならぬのである。

同信の者相集まって声を揃えた時に生ずる連帯感や、お互いの信仰を確かめ合い、同じ一つの信仰に繋がる者として共に在るという力強さに対する自覚は、教学に基づいた信仰とはまた異なった体験的な信仰である。さらに、そうした門徒集団となるが故のものばかりではなく、教えから出発しながら人間を教えに閉じ込めることのない、超越的他者との「出会い」の直接経験、つまり、感応的な信仰の現象としての交感が、節談説教において立ち現われるのである。

それは、究極性との直接の触れ合いないしは霊的交わりの機会の到来であり、その場に超越的人格の存在が感じられ、確信されながら、強烈な昂揚状態に突入することによって活性化されゆく、人々の聖なる時間である。そこで人々が聞く究極性から発せられる語りかけは、個人における阿彌陀佛との一対一の世界であり、遡れば、親鸞において「ひとへに親鸞一人がためなりけり」(歎異抄)という彌陀の本願である。しかしそれは、神と人の対面する両者には、上下または対立する形での一種の隔たりが意識され、その交流は緊張した定型の上のみに成立する「祭儀」とは異なった、いわば「開け放たれた厳粛性」とも呼ぶべき、究極性に近づく〈民衆の方法〉によって齎されるものである。

説教者と聴衆は、或瞬間において、和音を奏でる如くに一体となり、また或瞬間には、佛恩と報謝、懺悔と讚嘆とが交わりながら、究極性に向い饗応し協奏する。次の瞬間には、逆に聴衆が表現者となって説教者がそれを聞く、そしてまた、説教者が表現者となって聴衆がそれを聞くという、呼応が繰り返されていくのである。この懸け合いは、説教者をより一層の昂揚状態に投入させる機能をも有するものであり、聴衆は説教者からさらなる「節」を引き出してゆく。説教者は、聴衆の唱える「名」を聞き、それを感受するのである。

こうした「受け念仏」にみられるようなことばのあり方に、言霊信仰と通底するものを、見い出すことは可能であろうか。豊田国夫氏は、念仏について、人々がその繰り返しの中に遠い祖先から受け継いできた言霊の信仰を満足したのだとする(11) が、私はそれについて言及し得ないのである。ただ、こうした一面では「言語の呪力」にも繋がるであろうことばのあり方が、それが究極的ものの現臨を表わすと同時にそれを現実化せしめるものであるという点で、「儀礼」というものの行為の発現や表出の過程と、ごく接近したものであることをみるばかりである。それは、〈リミナルな言語〉(12) である。しかして、このようなことばは、何処から来るのであろうか。

その場に顕現した他者の語りかけに応答する時、自己と他者というこの二つは、交感の働きにおいて自己が成ると同時に、交感の働きにおいて他者が達する、すなわち、感じるものと感じられるものは、異なった二であって一ではないにも拘わらず、しかしそのぎりぎりの在り方において一なのである。これは、自己が自分のそれまでの枠組みを今まさに超えて出て行かんとする境界状態であり、それ故に、ここにおいて、一つの〈リミナルな言語〉が生まれ出るのである。この時、人々は、「神話」を自らの表現として解釈し、或いは、自己の表現として新しく作り出すのである。この「神話」の出来事が起こるのは、常に自己と他者との境界の上であり、この二つの存在の接触点である。

人々は、「神話」の世界の、単一の水平の地平を目指し、その地平の上に自らの新しい位置を求め、新しい集合関係を結び、さらに、自他の一という新しい隣接関係を生み出してゆく。阿彌陀如来は「付き添いづめ御護りづめの親さま」となり、浄土は「御待ちもうけのお膝下」となる。人々は、いと高きものを低きものと統一させ、遠きものと近きものを合一させるのである。そして、「階層づけの『外』から突然やってくる言葉、あるいはその階層自体を逆転する無限の空間」(13) である〈リミナルな言語〉は、生まれ出たそのままでそこに存在しうるのである。

 

三、交感の中心と周縁

交感が生起する時に、〈リミナルな言語〉は生まれ出る。しかし、〈リミナルな言語〉というもののあり方に従えば、それは、交感の時空の中心に在るものではなく、周縁のものであることが明らかとなる。なぜならば、そこには、〈リミナルな言語〉に先立つ、「思議」すること能わざる彌陀の「法」(真理、真如)という「語りえぬもの」の顕現が、まずなければならないからである。

「梵天勧請の説話」としてよく知られるように、釋尊の初転法輪は、「如来は法を説くことを欲しない」と沈黙を守ろうとした仏陀のためらいの後の決断であったという。また、仏陀は、死するに臨み「四十九年、我れ一字をも説かず」といわれたとされる(14)。「法」は「語りえぬもの」なのである。

丹生谷貴志氏は、宗教による言語の否認について、言語が本質において「世界」と「真理」の不完全な所有だからであるとし、「そこに『真理』、絶対的所有としての『沈黙』が要請される」(15)(丹生谷原文は、二重かぎ『』ではなく、強調の傍点を使用)のだとする。

当然の事ながら、節談説教の場では、言葉、リズム、音の響き、そして、節や調べという外的言語が漸次交感を誘引し、そして、その場に立ち現われた交感が人々の表現ないしは表出行為というさらなる外的言語を喚起することとなる。しかしそれにも拘わらず、その交感の時空の真の中心とは、唯一彌陀の真実の「法」である「語りえぬもの」、すなわち、「コヽロモオヨバレズ、コトバモタヘタリ」(唯信抄文意)という、如何なる言語も存在することのない空間なのである。言い換えれば、節談説教のあらゆる言語の真理性を支えているのは「沈黙」であり、したがって、節談説教の用いることばは、絶えずその「沈黙」の中へと回帰すべきものなのである。

こここにおいて、〈リミナルな言語〉は、「沈黙」から逃れながら、自己と他者との境界の上で、彼らのことばの世界を維持しようとする、人々に与えられた手段ないしは道具となるのである。人々は、「語りえぬもの」を畏れながらも、節談説教という彼らのことばの世界が消失することを思い切れないのである。

浄土を憧れ彼国へ往きたいと望む心を決断せしめ、臨終に来迎して浄土へ連れ行くことを約束するものが十九願であり、名号を聞いて往生を願う一心の称名念仏によって浄土をうることを約束するものが二十願である。しかし、伝統教学にいう親鸞の「三願転入」は、十九願・二十願を真ではなく仮であると廃し、それらにとどまることを誤りであるとする。「臨終まつことなし、来迎たのむことなし」(末燈鈔)、「方便トマフスハ、カタチヲアラワシ、御ナヲシメシテ、衆生ニシラシメタマフヲマフスナリ。スナワチ阿彌陀佛ナリ」(一念多念文意)ともいわれ、十九願、二十願は方便とされるのである。

透徹した自己否定を以て、「神話」の揺るぎない宇宙観の中で安心して身をまかせ、ただ黙して一つの大いなる声に聴き従う。この「聞く」という受け身であったいとなみが、たとえば、一言口をはさみたい、ここで言うべき何かがあると、自己を強く駆り立ていくものの内なる発生により、受動であると同時に能動であるいとなみへと転ずる。言い表わし得ぬものを言い表わしたい。それは、人格的一佛との直接的な出会い、自分達の人間的な応答、全人格的な実存的交流が起こる世界に対して、或いは、浄土を思い彌陀の来迎を期する世界、そして少なくとも、阿彌陀佛の自己顕現の究極的形があり名がある世界に対して、彼ら自身がそれをリアルに感じ、かつ、彼ら自身がそれを所有することを、人々が必要としているからなのである。さらに言えば、そうした体験から、彼らが「神話」を自らの表現として解釈する、或いは、自己の表現として新しく作り出すことが可能となるのであり、その結果として、自己の情念や心情というものが落ち着くところで、アイデンティティの創出がなされることを、人々が必要としているからなのである。

同時にそれは、交感の意義と力を我々に示すものである。なぜならば、そこにみられるものが感性であれ感受性であれ、「感じる」ということは、これを自分で止めることができないのである。またそれは、金児暁嗣氏が述べるように(16)、信念体系のなかで基底的位置を占め、疑う余地のない「0次の信念」に繋がる感覚経験であるからである。

もし宗教が、これは佛についての学である、神についての学であると、その教えを「佛のこと」「神のこと」として、余りにも観念化し体系化するのであれば、そこでは、「人間のこと」としての経験や問題が離れゆき希薄化するばかりである。しかし、そうした状況が起ころうとも、人間は、一切の儀礼的なものに対する感性を喪失しない限り、そこに呆然と立ちつくしてはいられない。自分の本当の名前を、或いは、自分が何者であるのかを求めながら、究極性へ向かう人間の関心が、我々をして表現せしむのである(17)。それ故に、より超越的な基準に向かい、自らの手で、自己の存在の根源を求めながら、個々の人間が表現する超理性的象徴行為や信念表出行為が、実に多様な形で展開されてゆくのである。

この表現せずにはいられないという人間的欲求によって、「語りえぬもの」の空間である「沈黙」へと回帰するぎりぎりの境界状態の中で、最後に大きな声を上げゆくものが〈リミナルな言語〉である。そして、境界の上で交感が生起し、「神話」の出来事が起こる時に、人々から生まれ出る〈リミナルな言語〉は、その数が多ければ多いほどに、それ自体の空間を無限に拡げていくことができるのである。「沈黙」に対して人々が示す抵抗の強かな姿が映るここに、私は、交感の芸能性を見るのである。

説教の場と雖も、そこに表わされるものは、本来、突き動かされて自ずから出るものであっただけに、それは必ずしも一つの言葉や形をとるとは限らず、おそらく様々な姿をもって現われたはずである。しかし、それらを宗教の言語とする為には、当の行為者を正当化しうる条件と様式を備えた一つの型を示し、伝統の下に純化する必要があったのではないか。「受け念仏」とは、個別でありながら普遍であることばの表象の類似体験として、反復されるものである。その際に反復されるものは、「祝詞」[もっと厳密に言えば、「咒詞」あるいは「壽詞 (よごと)」](II) であり、「かけまくもかしこき」(18) 位相であり、その後に続く人々のいとなみが模範とすることとなる、或心の原風景から来るものであろう。その心象風景とは、アニミズムに由来する生命のイメージ(19) であり生の情動性であるのである。

そうであるならば、人々における自己の存在の根源に対する冀求こそが、交感の宗教的かつ芸能的生命となっているのである。もしこの交感の現われと働きがないならば、節談説教は、単なる過去の教化方法として形骸化し、人々の生活の場へも及ぶその生命力と活力を失ってしまうはずである。

おわりに

節談説教における強烈に昂揚した場面とは、一方において、究極的価値についての全きものを手に入れることを求めながら、他方では、中心であり真理の源である「沈黙」への到達を引き伸ばそうとする、言い換えれば、「語りえぬもの」を得るよりも、むしろ彼らのことばの世界を保持しようと抵抗する、人間のアンビバレントな矛盾をも、その内に含むものとなっているのである。したがって、交感の芸能性と仏教とは、節談説教という場で相互に最も接近しながらも、「沈黙」という問題において、遂に一つにはなれないのである。

しかしながら、その中心と周縁の関係において、周縁を否定・排除することなく、聖と俗とのどちらへ傾くかという未分性の境界に生き続けてきたものが、「受け念仏」である。それは、無限なるものと有限なるもの、彌陀一佛の世界と諸佛諸神の世界、「お念仏」(宗教としての念仏)の領域と「祓う呪符であった念仏」(20)(民俗宗教的心情の念仏)の領域とを往き交う、人々の姿と心なのである。

〔註〕

(1) 『み名を称える キリスト教と仏教の称名』(ノンブル、一九八八年)一三一頁。
(2) 関山和夫「節談説教と祖父江省念師」(祖父江省念『節談説教七十年』、晩聲社、一九八五年)一九一頁。一八九頁。
(3) 関山和夫「節談説教と祖父江省念師」(前掲『節談説教七十年』)一九一頁。
(4) 省念師の説教は、典型的な五段法を執るものである。まず、讃題には、経論・祖釈の一節がこれから説こうとする一席のテーマとして、節づけで感銘深く読み上げられ、次に、その讃題の法義を今少し平易に解説して、法説となる。そして、譬喩は、それをより一層解り易くする為に、聴衆にとって出来るだけ興味深い、実生活に密着した数々の話題を用いて説くものである。さらに、因縁では、讃題・法説を証明する事例を挙げるのであるが、ここでは、『親鸞聖人御一代記』や『蓮如上人御一代記』等が中心となり、また、『教行信証』、『歎異抄』、『御文』等を引く話や、妙好人を扱う話が本筋となる。そして、結びとして、結勧で、聴衆に「安心」を与え、今席の話の要諦を述べるという型である。聴衆は、譬喩談で爆笑を繰り返し、因縁談では、涙を零し、その一席が終わる頃には、「サア親が迎えに来たぞー」と、阿弥陀仏に救われたような気持ちに、おそらくなってしまうのである。

聴衆にとっての省念師の存在が何であるかは、一席の説教が終わった時点の光景によっても、明らかであろう。人々は、高座の省念師に手を合わせ、南無阿彌陀佛の名号を唱え続ける。聴衆は、阿彌陀如来、あるいは、親鸞の「代わり身」としての省念師に手を合わせ、如来が往生の手立てを廻らし差し向けていることを知り、感謝する為に、名号を称えるのである。

省念師の説教の録音(カセットテープに)を、世話役の人に頼む参詣者は多い。「夜眠れなかったのが、先生〔省念師〕のお話を聞きながらだと眠れるようになった」と言って、大事そうにテープをしまう老女。「ともかく気持ちがスッとする」と言う中年の女性。「イライラしても、テープを聞けば気持ちが治まるから」と、既に何本もテープを持っている老人達。彼らは、月二回の有隣寺(昭和十二年、省念師が寺号を取得)の定例会が待ち遠しい人々、テープでもよいから、省念師の説教を毎日聴かずにはおれない人々である。このような人々にとって、その節談説教は、大きな楽しみであると共に、信仰や祈念を背景とした、感性と情操の結晶とも言うべきものなのである。言い換えれば、芸能化されたとして一段低く見られたこの布教活動こそ、人間生活の直中にあって、人々を救い、その心を癒すものである。またそれは、芸能の原点が本来持つ、素朴な力を見せつけることでもあろう。[日本の藝能は、もとは藝能としての形を有していなかったものが、繰り返して行われてゆくうちに「行動伝承」となり、藝能化して、藝能となってきたものだと考えられる。例えば、「舞」(「踊り」とは異なる)の藝能化の過程のように、無意識的な行動である憑霊状態に入る前後の動作(信仰上の現象として)等が、次第に固定し、意識化されて、藝能を形づくるようになったということである。尚、藝能から更に芸術となっていったものもあるが、芸術となってしまうと、藝能(あるいは民俗芸術)とは言えない。藝能(あるいは民俗芸術)は我々の「生活」に即しているが、芸術は我々の実際の「生活」から遊離しているからである。参考:『折口信夫全集 21 日本芸能史六講(芸能史1)』(中央公論社、1996年)、折口博士記念古代研究所編『折口信夫全集 國文學篇6』第十二巻(中公文庫、1976年)、『折口信夫全集 民俗學篇1』第十五巻(中公文庫、1976年)および『柳田國男全集 13 先祖の話 日本の祭り 神道と民俗学ほか』(ちくま文庫、1990年)。]

しかし、そうした多くの人々の求心にも拘らず、宗門内部における批判や蔑視等、節談説教に対する否定的方針は立って久しく、それに伴う伝承者の激減、あるいは、後継者の有無の問題は非常に大きい。

(5) 柳宗悦「真宗素描」、「真宗の説教」(『柳宗悦 妙好人論集』、岩波、一九九一年)五十頁、八十三頁。
近頃の学僧たちは、こういう節附をとかく蔑むが、しかし、ここに発展したのは、由って来る充分な理由があると思われる。信徒たちは有難い仏の教えを聞きにくるので、説く人の主観に接するよりも、それを超えた客観的な仏の声に接したいのである。(50頁)
考えると、ものが個人的でなく公のものになる時、かかる節附が必然的に招かれてくるのである。つまり様式化され、客観化される場合、個人的な語り方でなく、非個人的な表現を帯びてくる。吾々はこれを言葉の「模様化」と呼んでいるが、韻律の世界はかかる模様化の要請によるのである。(83頁)
(6) 北岡誠司『現代思想の冒険者たち第十巻 バフチン 対話とカーニバル』(講談社、一九九八年)二一二頁。
M. M. Bakhtin, Speech Genres and Other Late Essays (Austin: University of Texas Press, 1986).
Intonation that isolates others' speech (in written speech, designated by quotation marks) is a special phenomenon: it is as through the change of speech subjects has been internalized. The boundaries created by this change are weakened here and of a special sort: the speaker's expression penetrates through these boundaries and spread to the other's speech, which is transmitted in ironic, indignant, sympathetic, or reverential tones (this expression is transmitted by means of expressive intonation—in written speech we guess and sense it precisely because of context that frames the other's speech, or by means of the extraverbal situation that suggests the appropriate expression). (pp. 92-93)
[他者の発話を分離する抑揚(書き言葉では引用符で表記される)は、特殊な現象である。まるで「話す主体の交代」(上記引用文のように、バフチン原文は、かぎ「」ではなく、イタリック体を使用)を、我がものとし、内在化させたかのようだ。この交代がつくりだす「境界」(バフチン原文は、イタリック体を使用)は、ここでは弱まり、特殊なものとなる。つまり、話し手の表現が、この境界を突き抜けて侵入し、他者の発話の中にまで広がるからであるが、それというのも、他者の発話を、皮肉、憤慨、共感、畏敬の念などに満ちた調子で伝えるからである(この表現は、感情表出的抑揚によって 書き言葉においては、我々は、まさに他者の発話を枠に入れる文脈のゆえに其れを察知するが、あるいは然るべき表現を示唆する言語情報外の情況によって、伝えられる)。]
(7) 「翁の發生」(『折口信夫全集 第二巻』、中公文庫、一九七五年)、「口譯萬葉集」(『折口信夫全集 第二十九巻』、中公文庫、一九七六年)、仲井幸二郎・西角井正大・三隅治雄編『民俗芸能辞典』(東京堂出版、昭和五十六年)。
(8) 関山和夫『説教の歴史的研究』(法藏館、昭和四十八年)三八二〜三八三頁。氏は、『延喜式』の冒頭における記録等を事例とし、説教においてこの「あどを打つ」のと全く同じような効果をもつものに「受け念仏」があるとしている。
説教においてこの「あどを打つ」のと全く同じような効果をもつものに「受け念仏」(「あげ念仏」ともいう)がある。説教の要所々々に入る聴衆の感極まっての「受け念仏」は、説教者の話を高潮させるのに大いに役立つものであった。巧みな説教は、巧みな「受け念仏」によって迫力を増すものであり、そこでも聞き手は極めて重要な役割を演じているのである。(382〜383頁)
(9) 説教の行為そのものが奇蹟の高調の時となるということについては、安居院の澄憲(1126-1203)が承安四年五月の最勝講に列した際、清涼殿において表白文のうちに雨を祈って験があり、権大僧都に任ぜられ(源平盛衰記)、聖覚(1167-1235)が元久二年八月に法然の病を説教で治療したという両者の説教の霊験が伝えられている。これらの叙述は説教そのものが多面体であることを、すなわち、「儀礼複合」であることを示すものである。説教が、宗教的真理を言葉を以て「伝達する行為」としての、それだけでは決してないということなのである。
(I) ハーヴィー・コックス(Cox, Harvey)/野村耕作他訳『民衆宗教の時代 キリスト教神学の今日的展開』(新教出版社、1978年)。
Harvey Cox, The Seduction Of The Spirit: The Use and Misuse of People's Religion (New York: A Touchstone Books, Simon and Schuster, Inc., 1973), p.158.
(10) 言語とは、常に流動しながら、生成している弾力のある記号である [言語は、記号体系である。そして、その基本的構成単位は記号である。例えば、言語を、人間社会の中で最も重要な記号体系である音声記号の体系として、定義することも可能である]。なぜならば、通常、言語とは聞き手に向けられたものであり、したがってその場合には、一人の個人が発話行為をいとなむのではなく、可視、不可視を問わず、常に聞き手である他者との関係性の中からつくられゆく生成物としてあるからである。このような「対話」においては、言語行為は主体の所在が明らかな社会的な相互作用となる。このような聞き手が何らかの形で存在する対話には、さらに、音声による言語表現行為である外的発話と、未だ音声として発話されてはいないが、心理的な内面で展開されている言語活動である内的発話とがある。そして、後者である内的それであっても、多くの場合に、社会的規範や共通意識等の基盤の上に生成され、日常のコミュニケーションへと、つまり、外的発話的に解消されていく志向をもつのであるとされる。しかしそれと同時に、その内的発話の中には、時として、主体とその経験のみで生成されるものが現われる。それは、社会的な規範や共通意識の基盤の上にはっきりと生成されたものではなく、純粋な自己の内なるものとしての心的体験等である。この場合、その内なるものが、言語の社会性から、特に共通の情意や共同主観性からも、かけ離れたものであればあるほどに、自己の社会的な意識から抑圧されて、外的発話として外在化することが困難になるのである。

このような自己の内なるものが、或特定の状況において、社会的な外的発話の構造がもつルールから解放されて、外在化へ、すなわち、外的発話の中へと入りゆく瞬間の言語を、〈リミナルな言語〉と、本文において述べたのである。なお、この「リミナル」とは、V・W・ターナー氏の言う「リミナリティ」からの転用である。また、この転用については、ミハイル・バフチン氏が、「その抑圧された内的発話が、ある特定の状況のもとで、それらの外的発話の階層関係と禁止から解放するものとして、カーニバルに逢着する。その特定の状況をカーニバル、その時の言語をカーニバル言語と呼んでいる」ことによるのもので、さらには、永田靖氏が、手品師、曲芸師、梅毒患者等の「バフチンのカーニバルの個々の形象」について、「『リミナリティ』に属する人々である」と述べていることからのものである。

さて、〈リミナルな言語〉は、上述の如く、本来的に、社会的規範や共通意識等の基盤の上に存在する外的発話ではあり得ない、言い換えれば、言語表象的合法性から外れた「異質なもの」であるが、或特定の状況、つまりは、非日常的状況にあって、外在化されうるのである。しかしそれでもなお、〈リミナルな言語〉の本性として、たとえば、他の言葉に置き換えることも、他の表現を以て表わされることも、さらには、日常的な意味世界の中に翻訳してその事柄を捉えることも、おそらく不可能であり、その言葉そのもので在る以外には外在しようがない、その言葉そのものなのである。「〈リミナルな言語〉は、生まれ出たそのままでそこに存在しうる」と述べたのは、〈リミナルな言語〉が言語そのものとして生きる、こうした言語の在り方を指してのことである。

1) ただし、そうした中においても、たとえば、他の人間の言葉を引用して何かを述べる時、そして、それが明確な引用ではなく、引用であることを隠してる引用、意識せずに行っている引用、故意に、あるいは、意識せずに、歪曲した引用、原意を変えた引用等が為される場合には、他人と自分という両者の言葉や言説が、入り組み、曖昧にされ、歪められながら動いて、発話はされているのであるが、主体の所在は、確定することができないものとなる。
2) 永田靖「嘔吐するバフチン ゆるやかな言語の逆襲」、『ユリイカ 特集・言語革命』6(1985.6)、青土社、浜口稔「意識と言語幻想 新言語起源へ向けて」、『ユリイカ 特集・言語革命』6(1985.6)、青土社、J・クリステヴァ/小松英輔訳「『詩的言語』の主体」、『現代思想 総特集=フッサール現象学運動の展開』臨時増刊号(第六巻第十三号)、青土社、J・クリステヴァ/西川直子訳「音と意味のリズム マラルメにおける詩的言語の革命」、『ユリイカ 特集・言語革命』6(1985.6)、青土社。
3) ミハイール・バフチーン/川端香男里訳『フランソワ・ラブレーの作品と中世ルネッサンスの民衆文化』、せりか書房、1973年、永田前掲「嘔吐するバフチン ゆるやかな言語の逆襲」、番場俊「声の出来事 ミハイル・バフチン再読2」、『現代思想 特集・宗教の行方』vol. 23−10(1995.10)、青土社。
(11) 『日本人の言霊信仰』(講談社学術文庫、一九八〇年)一七八頁。
(12) 註10において述べている。
(13) 永田前掲論文、一六六頁(上段)。
(14) 柳宗悦「真宗の説教」(前掲『柳宗悦 妙好人論集』)七十四頁。
(15) 丹生谷貴志「投げ捨てる土」(前掲『ユリイカ 特集・言語革命』6)一九七頁。
(16) 大村英昭・金児暁嗣・佐々木正典『ポスト・モダンの親鸞 真宗信仰と民俗信仰のあいだ』(同朋舎、一九九〇年)。
信念には、様々なレベルがある。金児暁嗣氏によれば(大村英昭・金児暁嗣・佐々木正典『ポスト・モダンの親鸞 真宗信仰と民俗信仰のあいだ』、同朋舎、一九九〇年)、個人の信念体系を構成している信念の数は、人によってまちまちであるが、それぞれの信念の重要性を決定する場合に、基底信念というものがあり、それは、D・J・ベム氏が「0次の信念」と呼び、また、M・ロキーチ氏が「原信念」と呼ぶものであるという。それについて、金児暁嗣氏は、以下のように述べている。
このように問い重ねていくと、あらゆる信念の信憑性の置き所は、個々人の『内的な感覚経験』(金児原文は、二重かぎ『』ではなく、強調の傍点を使用)かある『外的権威』(金児原文は、強調の傍点を使用)のどちらか、あるいはその双方にあることを見い出すにちがいない。逆に言えば、多くの信念は、こうした基底信念から派生してくるものとみなせる。〔中略〕われわれの感覚経験の妥当性を信じることが最も重要な基底信念であって、この種の信念が「0次の信念」とよばれる所以である。それは、他の信念が形成される意識下の公理といって差し支えなかろう。われわれの感覚の信頼性に関してわれわれは0次の信念を有しているがゆえに、直接経験から派生する信念は正当性をもちうるのである。(260頁)
(17) 拙稿「節談説教に見る蓮如」(『国文学 解釈と鑑賞』第六十三巻十号、至文堂)。
(II) 折口信夫「大和時代の文學」(『折口信夫全集 第八巻』、中公文庫、一九七六年)。
咒詞の中には、かうして見ると、後来祝詞に這入るべきもの、宣命に這入るべきもの、と言ふ大区劃の外に、尚祝詞と鎮護詞との分化の、代宣の上に現れたものが見える。更に咒詞を蒙った時、これに対して答える詞が出来て来た。此が、整備した形を「よごと」と言ふ。(98頁)
「よごと」は、奏壽の詞として発達し、後その実存して、名亡びる様になった。奏詞の根本信仰は、おのが守護の霊魂を、長上に献ずることである。さうすることによって、服従・忠誠を誓い、更めて又、庇護思頼 (みたまのふゆ)を蒙らうとするのだ。(99頁)
(折口原文は各語に旧漢字を使用)
柴田實「古代の寿詞」(『日本庶民信仰史 神道篇』、法蔵館、一九八四年)。
上に挙げた古代の寿詞 [出雲国造神賀詞 (『延喜式』巻八) と中臣寿詞 (『台記』別記) を柴田氏は指している] はそのいずれについてみても、西洋のキリスト教などの場合のように、神の加護や恩寵が対者の上に加えられることを祈念するのではなしに、むしろ当事者の意志や願望が、その寿詞を述べることによって直接に実現され、成就することを期待し信じているように解せられる。それはいわば寿詞そのものの働き、その力に対する信仰であって、すでに古くから人びとによって指摘されている言霊信仰なるものがこれに当たるであろう。(79頁)
(18) 「古代に於ける言語傳承の推移」(『折口信夫全集 第三巻』、中公文庫、一九七五年)四四四頁。
(19) たとえば、樵夫が木を切る毎に、木霊に祈り、森の精霊に詫びるというような、自然の恵みに直接依存した山民、農民、漁民たちの生活感覚であった「おかげさま」の心情にみる、森羅万象のことごとくに内在する生命のイメージである。
(20) 大村英昭・金児暁嗣・佐々木正典前掲書。

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祖父江省念師

A2-1: 節(抑揚)について (.mov, .rm, .aif, .mp3)
A2-2: 八歳でした初めてのお説教について (.mov, .rm, .aif, .mp3)
A2-3: 「儂から佛様をとってまったら何も残らん」 (.mov, .rm, .aif, .mp3)
A1: 人々を導く「説教師」になると、はっきりと決意された時のお気持ち (.mov, .rm, .aif, .mp3)
A3-3: 美声、話術、そして、節まわしについて (.mov, .rm, .aif, .mp3)
S1: 節談説教『親鸞聖人伝』から - 雪の中の石枕 (.mov, .rm, .aif, .mp3)
S2: 節談説教『親鸞聖人伝』から - 我が子善鸞に面会許さず (.mov, .rm, .aif, .mp3)
S3: 節談説教『親鸞聖人伝』から - 山伏弁圓 変わりはてたる我が心かな (.mov, .rm, .aif, .mp3)
U: 補足音声資料 U「受け念仏」の例 - 「受け念仏」の例として、30秒弱の非常に短い音声資料 (.aif, .mp3)

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