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これらの資料に記しましたのは、あくまでも私が私の耳で聞き取れた範囲のことばです。繰り返し確認作業をいたしましたが、それでもなお聞き違えた言葉と聞き漏らした言葉があるかもしれません。そして、節談説教の一席一席の「一回性」ということを念頭にして、私の耳に聞こえたそのままを記しました。
省念師の節談説教の資料
祖父江省念師「口伝の蓮如」全5巻 全十話から 第七話 第八話 第十話
えー段々と席を重ねてまして、お話を申して参りましたが、ある朝杖をつきながら、ヒョロヒョロヒョロヒョロと、参りました一人のお婆さんがお上人さまに、膝突き合わしてご教化が蒙りとうございます。えーそれをお弟子がお取次を致しますと、蓮如上人お出ましになりまして「お前は何処から来たのじゃ」、「丁度六里の山坂越えまして、実は一晩患いで、えー倅が死にました。世の中の無常ということを感じまして、倅すら死んだのに私がうかうかしておってはいかん、おっかせ蒙ろうと驚きを立てまして、はるばる六里の道を杖をつきながら伺ったのでございます。どうぞ、納得のゆく迄おっかせが願いとうござります」。涙ながらのお言葉をお聞きになりまして蓮如上人は、お話をなさるかと思いますと、「そうかそうかそれは大した事じゃが、しかしのう今日は儂は拠ん所の無い用事がっての、えーお前と話をしておるわけには参らんので、また明日出直いていらっしゃい」。「そうですかせっかく六里の道を訪ねて参りましたのに、今日は拠ん所の無いご用件がありまして、私とお話をして下さるわけには参りませんのか。それじゃあまた改めて」と、こう言うので、泣きの涙で、スゴスゴと戻って参る。あくり朝になるとまた杖をつきながら「昨日はご用があってお話が承れませなんだが、今日は一つおっかせが願いたい」、「やー今日もなどうにもならん用事があっての、話がしておれんわや」と、五日経っても六日経っても、今日も駄目じゃ今日も駄目じゃとのお言葉で、まぁこのお婆は途方に暮れまして丁度十五日目の朝、「最早私は、ご用の済む迄ここで待たして頂きます。通り出る息は入るを待たぬの譬えの如くこのような私が六里の道を往復十二里を歩いて、おっかせを蒙りに参りましても、『今日も駄目じゃ今日も駄目じゃ』と仰るが、ご用の済む迄、ここにまた待たして頂きましょう」と、座り込みますとお弟子が、「うーんさっその大したご用件のない、御師匠様が『今日も駄目じゃ今日も駄目じゃ』と、涙に暮れながら戻って行くあのお婆を儂は本当に可哀相だと思うたが、ま、ま、今日もそういうことならば儂が取り次いであげよう」と、まぁその、御師匠様蓮如さまの手許へお弟子が行こうと思いますと、後ろの唐紙をガラッとお開けになりまして、そこへ飛び出いておいでになりました蓮如さま「あーあお婆や、その態度、その聞こうというその真剣さ、それを儂は今日迄、今日も駄目じゃ今日も駄目じゃと、お前がどのように真剣に求めているかを待ったのじゃが、よーお座り込んでくれた。後生の一大事は、そのような覚悟でのうては聴聞がでけん幾ら聞いても安心はでけんのじゃ」と、そのお婆をお座敷へとお上げになりまして、懇々とお話をあそばし、誠に広大無辺のお慈悲に満足を致しまして、真の信心決定をしたというような、ま、例もあります。また、近郷近在から大勢の人々が我も我もと参詣を致す中に若ーい嫁さんが一人毎晩毎晩参るわけで、ところうがこの姑が仏とも法とも知らん誠の邪見者で、どうしても嫁の参るのが気に食わん。「えー、そんなに参りたければ夜だけは、ま、参らしてやろうから、今日の一日の仕事はこんだけの仕事をやりなされ、これが終ったならば参詣をしてもよかろう」。えーこの方面は、この女の人は機を織るわけであります。「今日は一反織らっしゃれ。一反、織り上げたならば、参詣してもいい、参ってもいい」。これは大変な大仕事でありますが参りたい一心でこの嫁ごは一生懸命汗を出いて、一反の反物を織り上げまして、ようよう一反、あー織り上げましたのでどうかお暇を頂きたいと、毎夜毎夜参詣を。ところうがどうぞして参らせんようにしたいと思うお婆は、今日は一反半織れ、今日は一反七部織れと、段々段々とこの仕事を増やいていきますが、参りたい一心から、この嫁ごは一生懸命、織りましてあーお暇を頂きたい、参らしてもらいたいと夜な夜な蓮如さまの御座ご教化を聴聞に参るわけで。どういうても参詣をする、どんだけ仕事を増やいてもそれを遣りこないて参詣をする。こりゃぁ?何とかせにゃいかん、どうしたらよかろうかと考えましたこのお婆が、鬼の面を被って脅いてやろうと、いうような考えを持ちまして、あーご教化を蒙り真夜中に「あーありがたいなぁ。誠に人間に生まれながら後生の一大事、解決のつかんような無用な者であるならば、人間に生まれた所詮が何があろう、あー私は幸せ者じゃ、何処で死んでも何処ではなついてもお待ちもうけのお膝下へ、往生をさせて頂ける身とはなんたる幸せ者じゃ」と、真っ暗な山道を南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏とお念仏をしながら戻って参るのであります。薮の中から恐ろしい面を被りました、鬼が鎌の研ぎ研ぎになった鎌を振り上げながらコラァーァァァァッと出て参りました。嫁はもうびっくり仰天、え、その場に尻餅つくかと思うと、泰然自若と致しまして、この鬼をじぃーっと睨みつけ、「呑まば呑め、喰らわば喰らえ」。よもや真の信心はあるまじと、悠然たるその態度の中に、生死の境を越え死んでもよし生きてもよしという、その決定の姿にあべこべにこのお婆の方が尻餅をついた。ウァーこれはどうしたことじゃ、このような恐ろしい姿で脅いてやれば、必ずやびっくり仰天夜道は歩かんじゃろうお参りをせんようになるじゃろうと、思ってみたら呑むなら呑め喰うなら喰え。よもや真の信心金剛堅固の信心は、呑むことは出来まいという、この態度に、アーこれはどうしたことじゃと、慌てふためいたこのお婆が、近道を走って我が家へ戻って参りまして、面を取って知らん顔しておろうと思って面を取ろうと思ってもどうしても取れん。どうしたらよかろうどうしたらよかろうと思うと、困り果てとるところうへ「ナンマンダブナンマンダブ」、ああ嫁が戻って来た、この姿見られたら、いうので一生懸命取ろうとしても取るわけには参らず、痛て痛てどうしてもこれを剥ぐわけには参りませんので、困り果てとると、嫁の方が「お母さん何をしてらっしゃる、鬼の面を被って、獅子舞のような格好をして」、「いやぁ儂はなぁ、お前が毎夜毎夜、蓮如上人のご教化を聴聞に行くのが、憎らして何とかお参りをやめさしょうと、今日迄、こんだけの仕事をせえこんだけの仕事を済んだら参らしてやろうと段々段々仕事を増やいても、お前は参りたい一心に俺の言う無理な仕事を成し遂げて参詣をする。じゃからのぉ、最早どういう手も駄目じゃから怖い姿で脅いてやろうと、実はあの竹薮から出て来た鬼は儂じゃ。それなのにお前は、ちょっとも怖いとも思わず、『呑まば呑め喰らわば喰らえ』よもや金剛の信心はあるまじと......。あの態度に儂はほとほと閉口をした。近道走って来てお前の帰る前に面を取って、知らん顔しておろうというような浅ましい考えでこの面取ろうとしてもどうしても取れん」。「お母さん、心から悪いというこころが出たならば、お経さまにも懺悔滅罪の徳というがあるそうで、どのようなあさましい人間でも、心底より我が行いのお粗末であり哀れであったということを、心から懺悔をすれば全ての罪が赦されるということでございます。さぁ真夜中ではございますがご迷惑ではあろうけれども、お上人さまの手許へ参りまして、この面取って頂こうじゃございませんか」と恥ずかしいのでこのお婆、ふろしきで顔を隠しながら蓮如さまの手許へ参りますと、蓮如さまこの姿をご覧になりまして「あーあ、お婆や、お前は正直者じゃのぉ」、「何故私が正直者でござります」、「あのなぁ人間はなぁ、どんないい顔しておろうと、どのようなにこにこ顔をしておろうと、心の中には皆恐ろしい鬼を持っておるのじゃ。お前はその心の鬼を表に出いた、だからお前は正直者というのじゃ、さ、儂が取ってやろう」と、蓮如上人その面をお取りになると、お婆の顔の肉がこの面に引っ付いて、そして、ようよう剥がされたということで今日でも、この「肉付きの面」と、こういうのが、あちらにもこちらにも、ま、あるわけでありますがおそらくは一つであっただろうと思うが、あちらにもこちらにも幾つかあるっちゅうことは鬼の面が子を産んだだろかなと私は思うわけ。だけどもこれはある学者の話を聞いてみますると、この肉という肉付きの面の肉というのは人間の生活だそうであります。だから、そういう心のお粗末さが顔に現われたとか、面に付いたということは何も不思議なことでなく幾つあってもそれはいいのだというような、解釈をしてらっしゃる学者もありますが、なにか数えた人がありまして、この、おー吉崎付近、あの方面に十六この面があるそうです。さぁこちらでもこれが本物じゃやぁこれが本物じゃ、言うて、お西の別院にもありますし、お東の別院にもある、その他にもまた沢山ありまして、なんか全部数えてみたら十六あるということです。さぁお互いがよう考えてみますると、なかなかこの表姿に、自分のこの心の醜さを出すということは、なかなか人間はでけんわけでありまして、え、それが本当に心の鬼のような心が表に現われたこの姿が、「お前は正直者じゃ」というような、お言葉が出ましてそれからこのお婆の為に、夜通しお話をあそばしてさすがのごうごうががんのこのお婆も懺悔懺悔と謝り果てまして、「もったいのうござります、今日迄親さまを泣かして参ったこのお婆、愛想も尽かさず嫌にもならず、ようこそ今日迄、念じ続けて下さった」と、感涙に咽びそれがご縁となりまして日日毎日、参詣を致すようなこうしんの同行になったのだそうでありますが、本当に考えてみますると、このぉ善導さまが、仏法をよろこぶ者、出家であるならば、どういうような日暮らしをするが本当かということについて、表には賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことなかれ、というお言葉があります。これはどういう意味かと申しますと、一口では仏法聴聞する者、或いは、仏道を求める出家という者は、表には賢善精進の姿を現ずる、立派な相を外に現わすと同時に、内に虚仮を懐くことなかれというのが、善導さまの法を求める者の態度である。このようなお知らせでありますけれども、なかなか私どもはそんなわけには参らんばかりか、御開山様でもこのお言葉をお味わいになりまして、あーあ善導さまはこのようなことを言うておいでるけれども、私の毎日の日暮しを考えてみると、誠にお粗末千万であるというそういうおこころから、表には賢善精進の姿を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐けばなぁり。いくら表姿が立派でありましても我が心眺めてみれば御座へは出せん。このようなあさましい私がいくら立派な衣を着ようが金襴のお袈裟をかけようが何の役にも立たんこと、ふろしきや重箱がいくら立派であっても、中の御馳走が腐っておれば役には立たんじゃないかという、心からなる懺悔をあそばしておりますが、お互いお互いがいい顔をしております、虫も殺さんような姿をしていても、心の中を眺めてみると鬼が出るやら蛇が出るやら。誠に親子の間柄では腹一杯話し合うことのできんあさましさ、それが人間の本性であろうと、思うのでありますが、越後に良寛という御方がありました。この良寛さまが、お一人で不自由な日暮しをよろこんでしていらっしゃったのでありますが、えー何にも欲もなく得もなく、えー誠に毎日お粗末千万な日を送っておると自ら仰せになりましたが、まぁありがたいことには湯を湧かそうと思うと、いつのまにやら風が落ち葉を運んで来てくれる、「焚くほどは風が持てくる落ち葉かな」、あーありがたいまぁ、本当にえー恵みがあって幸せじゃというような、毎日日暮しをされたのでありますが、御臨終の時に、かねがねおっかせを蒙っておられると思いますが、貞心という我々の同じお慈悲をよろこんで、お淨土を願われたお同行の中に越後の貞心という、この方がこの良寛さまの御臨終色々とお世話を致しました。また良寛さまも、この貞心のよろこびを深ーくおよろこびになり、また貞心もこの良寛さまの日日毎日の行動を、本当にこれが本当の生き方だと、いうので色々とお世話をしたそうでありますが、丁度御臨終の前に、この貞心にもう言葉が出んような有様でありましたが、手でこう何かこう仰る、何かこうやらっしゃる、よう考えてみると筆を持て来いということであろうと、こう思いまして、貞心が筆に墨をつけまして、えーこの震える良寛さまの手にこの筆を渡しますと、紙をまぁ前に広げてくれというような有様であったので紙を広げますと震える手で、「裏もみせ表もみせて散るもみじ」、こういうがすばらしい歌を詠って、その歌をお書きになったままで遂に今生のお別れをあそばした。なるほど、我々は心には誠にあさましいものを持っておりましても、表姿には現わさず、如何にも殊勝なようなそういう人生ごまかしながらその日暮しをしておりますけれども、良寛さまは丁度紅葉が散っていくように一生の間、「裏もみせ表もみせて散るもみじ」。こーういう生き方がすばらしいのじゃないか、ということは、誰をごまかいても、誰をえー目をくらましても、仏さまは見ていらっしゃるじゃないかぁ、隠すことはでけんじゃないかぁ、こういうようなことを仰せになりましたが私どもの先輩にもやはり宮部円成という偉い方がありまして、この方は何処へお出でになりましても、先生何か記念に一筆書いて頂けませんかと、お願いをすると、他のことは何にもお書きあそばさずに、余り上手な字ではありませんまぁ私ぐらいのものですけれども、「見てござる」、何処でも「見てござる」。こういう字しかお書きなかった。今、名古屋別院のあの本堂と対面所との間の植え込みの中に、石の棒ぐいが立っておりましたが、今移転をしたそうですが、それにも「如竹」とこう書いてある、竹の如しという雅号であります。だからその雅号をお書きになったその上の処ぅに、「見てござる」。誰をごまかいても誰を世間をごまかし、或いは人をごまかいてみても、仏さまだけはちゃーんと見ていらっしゃる。それを畏れる。そういう日暮しをしなければ、我々は申し訳のないことになるということで、誰は見ていなくとも世間は何と言えども、仏さまの目はごまかせない。こりゃやはり御開山様も、私は人間の目は怖くはありませんが、仏の目が怖いのですということを常に仰せになっておりますが、我々念仏者も毎日の日暮しの中で、人はごまかせても仏はごまかせない、こういう日暮しを致すべきじゃと、いうことを、「見てござる」というこの言葉を考えてみると、我々は、人をごまかし世間をごまかし仏までごまかし、自分の心までごまかすような日暮しでは、誠に申し訳のないことであるということを考えねばならんと思うわけであります。
段々と蓮如上人は、えーあちらこちらとご教化をして歩かれまして、もう北陸中は言うまでない、東北方面迄、足を運ばれましてお念仏をお弘めになりました。段々段々と仏法が繁昌を致しまして、もう殆ど御開山御在世当時より以上の、盛んなことになって、まぁ蓮如上人を本当に生き仏のように、皆が尊敬をしたわけでありますが、そういう長い間あちらこちらで仏法をお弘めになっておりましたが、幸いにして、応仁の乱という恐ろしい戦争がありましたが、それが終りまするとその翌年に、皆が山科に御本山を建てようじゃないか本堂建立しようじゃないかという気運が漲って参りまして、えー皆非常に、経済力に恵まれていない人々が多かったのでありますけれども、お金をあげることのでけん者は労力を提供をしよう、或いは山に生えておる木を寄進を致しましょう、こういうようなことで大勢の御方の協力で三年間かかって、大本山が山科にできたわけであります。あーようようまぁ願い叶うてこのような、立派な御本堂ができた。あちらこちらと布教して歩くやら、或いは叡山の坊主に追い回されて逃げておったというようなことで、十年間の間報恩講がご無沙汰がしてあった。あーこのような立派な本堂ができた落慶法要の前に、十年間ご無沙汰をしていた報恩講を厳修しようじゃないか、それには、三井寺にお預けしてある御真影をお迎えをして参らにゃぁならんということで、長い間お預かりをしておいたのでありますから、莫大なお礼金やら数々のお土産を持って、佐々木如光というお侍が、これは御本山の寺侍と申しまして生まれは三河の人でありますが、大勢の家来を連れて、えー三井寺満徳院という所ぅに、この、えー、御真影がお預かりがしてありましたので、えーこの、お迎えに参ったわけであります。「えー長い間御真影さまをお預かりを申し上げ、誠にありがとうございますが、お陰様でようやく本堂が山科にできました。落慶法要の前に十年間もご無沙汰をしておりました報恩講を、厳修を致そうと存じますので、今日は御真影さまをお迎えに参りました。どうぞ、これはお土産でございます、これは、お礼金でございます、どうぞ、御真影をお還しを下さいませ」と丁重なご挨拶を致されたのであります。ところうが満徳院の大僧正つくづく考えまするのには、日日毎日押すな押すなの参詣は三井寺へ参るのではない、お預かりがしてある御真影さまへ、我も我もと本願寺の人々が参詣するがこの御真影今日返いたならば、明日の日から誰一人参詣する人もあるまい、この三井寺は閑古鳥が鳴くような有様になりはせんかというようなことから、何とか難癖つけて、この御真影を三井寺のものにしたいというような悪い考えをおこしました。「オゥ本願寺の使いか。今日迄十年間の間御真影御安泰ということは誰の御蔭じゃと思う」、「えーそりゃそりゃ、申すまでもございません。三井寺様の御蔭さまでござる」、「その御恩を忘れてはいまいな」、「えー何で忘れましょうぞ、お上人さま始め弟子の者から同行に至るまで、烏の鳴かぬ日はございましても、三井寺様の御蔭さまじゃと語り合わん日とては只の一日もございません」、「オゥそりゃそうであって然る可し。じゃがのぉ、もうそういうように十年間御真影をお預かりをしたその恩を返せと言うのじゃないがのぉ、この三井寺がの、立っていくか潰れるか誠に困り果てた大事がでけての、困り果てておるのじゃが、この際本願寺の力を借りたいと思うじゃが、力を貸してくれんかこの難関を乗り越えたいと思うが何とか本願寺の力が借りたいのじゃがのぉ」。「本願寺の力を貸せと仰るが、どういうことを致したらいいのでしょうか。本願寺がどんな力をお貸ししたならば、この三井寺が立ってゆくか潰れるかのその大騒動乗り越えて行けるということは、どうしたらいいのでござりま......」「いや外じゃないがの、この三井寺が潰れるか立っていくか乗り越えられるかどうかという大変困り果てた問題はのぉ、生首の用立てをして貰いたいと思うのじゃ」、「ヘッ、生首、ナ、生首と申せば生きとる人間の......」「そうよ。死んだ死骸の首に何の用事がある。生きとる人間の首を二ぁつ切って持って来い。生首二つの用立てができたならば御真影を返してやろう。さなくば返すわけにはいかん」、「それはとてもとても私では返答はできま......」「あーそらそうであろう。お前ではそりゃ返答はできまいが、さっそく立ち返っての、蓮如上人と篤と相談の上、否か応かの返事を直様持って来い」。言われて佐々木如光は、夢ではなかろうか現ではあるまいかと、オゥオゥオゥオゥ泣きながら戻って参れば蓮如上人は御真影は今お帰りになるか今お帰りになるかと、大勢のお同行やらお弟子方と門前迄お出ましになって首を長うして、待っていらっしゃるところうへオゥオゥオゥオゥと泣きながら佐々木如光が戻って参りました。「如光や、御真影さまはどうしたのじゃ。御真影さまを何故お伴せんのじゃ」、言われてみても何とも言いようがありません、ウヮウヮウヮと泣いておる、軈て堪り兼ねて蓮如さまのお衣のこの袂にしがみつきまして、「お上人さまぁ......、あろうことかあるまいことか......、御真影さまをお迎えに参りまして莫大なお礼金を差し出し、沢山のお土産を差し出して御真影をどうぞ還いて下されと、お願いを致しますれば今三井寺立っていくか潰れるかの大騒動、この際、本願寺の力が借りたいと仰るので、どうしたらよろしいかと言えば、生首二つの用立てをしてくれ。生首と申せば生きとる人間の首、『オオ知れたことよ。死んだ死骸の首に用事はない。生きとる人間の首をぶち切って二つ持って来い、さなくば御真影返すわけには参らん』との無理難題、御師匠様、取り付く島もあらばこそ泣いて戻って参りましたがどうしたらよかろう、何としたらよろしゅうござろうか」と、泣いておりますと、蓮如上人は思わず知らず両眼滝なす涙のその中に天を仰ぎながら「ああー、この蓮如、前生如何なる種を蒔きしやら、幼い時には死別にまさる生別産んでおくれたお母様とは生木の枝を裂かれるような別れ方、継母様には長い間いろんな責め苦におうて、ようよう本願寺の住職となり、お話をあちらこちらでして念仏の教えが段々段々繁昌すれば、叡山の坊主どもに御本堂といわず庫裏といわずあらゆる建物が焼き討ちをされ、身体に長刀傷まで負わされて、あちらこちらと逃げ延びて、ようよう、お同行衆のお取り持ちでこのような立派な本堂が建ったと思えば生首二つの用立てを致せ、人間の首切って持て来い、そうでなかったら御真影は返せんと、満徳院の大僧正が悪いじゃない、このように泣かにゃならんはこの蓮如、前生如何なる種を蒔きしやどのような行いをしてきたやら、あー前生が恥ずかしい」。ワワワワと泣いておいでる。大勢の人々がお上人泣かせてはいかん、なんとかせにゃいかん、ワイワイワイワイと申しておりまするけれども、烏合の衆、私が御真影をお迎えをして参りましょうぞと、名乗り出るような者は一人も無い、ワイワイワイワイと、言うておるだけで口には御恩じゃお慈悲じゃと言うておりながらいよいよとなれば、御恩報謝の大行を勤める人は一人も無い。蓮如上人もオゥオゥとお泣きになる。お同行もお弟子方もどうしたことやらとオゥオゥと泣いておいでる。その人々をご免なされご免下されと、掻け分け押し分け蓮如さまの手許へと参りましたのが、堅田の源右衛門というお同行。「おお、お前は源右衛門か」、「あぁぁお上人さま、前生の種蒔きが悪かったの、自分の業が恐ろしいのとあなたは泣いていらっしゃいますがいやあなたが悪いじゃない。満徳院の大僧正が人間の皮は被っているが坊主の姿はしておるが、誠にお粗末千万な人間でござります。ご心配下さるな。その御真影さまはこの堅田の源右衛門、必ず迎うて参」「あほなことを言うな。あのようなな、佐々木如光のような兵が迎えに行ってすら返さんのじゃないか、お前のような老い耄れ親父が、行ったとて何で還いてくれ」「いえいえ、御心配下さるな。見る影ない老い耄れ親父ではございますがこれじゃとて、昔とった杵柄腕に覚えがございます必ずお迎えして参ります、泣いて下さるな」と、口では申せども、心の中に思うよう、彌陀の本願如何に広大なれども、教えて下さる真の知識なかりせば、この源右衛門が往生の一大事どうして安心安堵の身となれましょうぞ。あなたさまのご教化の御蔭さまで、いよいよ長い間の迷いの足を洗いまして、命終われば何時なんどきでも御待ちもうけのお淨土へ、往生させて頂くという安心安堵ができたのは偏に善知識の御蔭さまでござります。生きて用事のないこの白髪首、御真影の身代わりに立たして頂きましょうの決意を決めて、一足出いては後ろ振り向き、蓮如さまのお顔をじぃーっと眺めながら、こっくりと頭下げてまた一足二足歩くと後ろ振り向いて、この世においてはこれが最後でごさります、長い間ご教化蒙りましたが、何の御恩報謝もせずじまい、軈てお淨土へ参らして頂けば心ゆく迄お礼を申し上げます、お上人さま、ありがとうございましたと。我が家へと戻って参れば、留守居をしておりますのが当年とって二十三歳の倅源兵衛という、こりゃまた非常なよろこびて。源右衛門が帰って参りますと源兵衛が、「親父さん、えろう早いお帰り、どうしたことです。今朝我が家お出ましになるその時に、『報恩講をお営みになる、落慶法要がある、まぁ俺は十日位は御本山に泊まって帰らんぞ』と、今朝我が家をお出ましになったのに今頃帰らっしゃるとは、どういう訳じゃ」、言われるなり源右衛門倅源兵衛の前にどっさりと座り込みまして、大地に両手ついて「倅、親たるべき者が、斯くの如く大地に両手ついての頼みじゃ。聞いてはくれまいかのぉ」、「何を言わっしゃる親父さん。俺ゃあ物心のついた時分から親父さんの言葉に背いたことがあるか。口答いをしたことがあるか。どんなことでも言わっしゃれ。俺ゃあ親に背くというような気持ちもなけらな口答いするような考えもない、たとえ火の中へ飛び込めなら飛び込もうじゃないか、水の中へ飛び込めなら飛び込む覚悟じゃ、さぁー親父さん言わっしゃれ」。「おお言わにゃわからんわのぉ。言わにゃわからんわのぉ。じゃが......言えない。こんなことがどうして言える。今朝我が家を出るその時、立派に成人してくれた、村中では一番の親孝行、あーあ、お前の子供の時分にのぉ、お前のおっ母が、死ぬ断末魔布団の中から半身のり出して、両手合わして儂を拝みながらおとっつぁん、死にとこないが死んでいかにゃならんが、気に掛かるのはこの坊じゃ。後添え貰わっしゃるであろう、後妻を貰わっしゃるであろうが、この坊だけは泣かせずに、立派に成人させて下されと、苦しい息の中に両手合わして儂を拝んだ。心配するな。どんなことがあっても俺は後妻は貰わん。男の手一つでこの坊は成長させる、やもめ育ちじゃと人から笑われるような子にはしまい。どんな世界におろうとも、草葉の陰とかやらでちゃんと見ておれ。必ず立派に成長させるぞと、言うたらボロボロボロボロ涙零しながら途切れ途切れのその中から、ありがとう......お願いしますぞと、念仏もろとも今生のお別れをしたのじゃが、後妻貰え後添え貰え、どんなに人に勧められても、坊が可愛い、坊が可愛えと、不自由を忍びながらようよう二十三まで成長してくれた。何処へ出いても恥ずかしない立派な倅。どえらい財産家から娘を貰ってくれ、儂の娘をどうぞと言われても、なかなかご縁がなかったが、隣村の大きな財産家から、いよいよこの秋には嫁ごを貰うことになった。来年の今頃は、可愛い孫の顔が見れるじゃろう、それを楽しんで我が家を出たのに......こんなことを言わにゃならんとは夢にも思うておらなんだ」、「何を親父さんごてごてごてごて言うておいでる、何なりとも言わっしゃれ。俺ゃあ親に背く気持ちはない、さぁ言わっしゃれ」、「言わにゃならんなぁ、よう、じゃが言えんわいこんなことを言おうとすれば、胸が張り裂けるわい......じゃが言わにゃならんで言うじゃがのぉ源兵衛、嫌じゃろうが死んでくれ」。驚くかと思えば源兵衛横手を打ちながら、「親父さん、なーんの為に死ぬのじゃ。訳を言わっしゃれ。俺ゃあ喜んで死んでいくけれども、何で死んでいくじゃ、訳言わっしゃれ、どういう訳じゃ」、「他じゃないがのぉ、お前も承知のこの、日本中どころか世界中にない、ご自分でお刻みなさった御開山の御真影さまが、十年間三井寺へお預かりしてあった。本堂ができた、報恩講を勤めようとての、佐々木如光さんがお迎えにお出でになったら満徳院の大僧正、誠にお粗末千万なことを言うての、この御真影虜にしたいばっかりに生首二つを持って来い、さなくば御真影は返せんの、無理難題。倅、口では御恩じゃお慈悲じゃと言う人はいくらもあるがのぉ、我が命差し出いて御真影の身代わりに死んでくれる人がない。お前に頼むのじゃ。嫌じゃろうが御真影の身代わりに死んでくれんかや」、「ありがとーぅ親父さん。病気で死んだら犬死じゃ。琵琶湖の真ん中で突風に遭うて船が沈めば、琵琶湖の底に沈んで行くじゃ。御真影の身代わりに漁師ふぜいのこの身が、立たせて頂くは願うてもない幸せじゃ。じゃが親父さん、二つの首と言うが、一つの首は俺で間に合う、も一つはどうする」、「言うな言うな、お前に死んでくれと頼んだ親がなんで生きとれる。生きて用事のない白髪首、元より、差し上げる覚悟の上で頼んでおるのじゃ」、「そうか嬉しいことじゃ。親子二人が御真影の身代わりに立たせて頂くとはなぁ」と、よろこんでおりましたが、なかなか首は切れるものではありません。
えー山科へお帰りになりまして、えーようやくまぁ病床へお入りをあそばしました。ところうが、余りのご無理がありまして、あ、二十日頃になりますというともういよいよけったいを致しまして、脈が打ったり打たなんだり、いよいよ今生のお別れだというような有様でありましたが、不思議にも、また二十一日頃から徐々に回復をあそばしまして、三月の丁度えー御往生が二十五日でありますが、それから一日おいて、その前の一日前のえーおいてえー二十二日の日に、あーいよいよまぁ今生のお別れじゃなということをご自分で仰せになりました。ところうが今はま、マスコミというもので、ま、アメリカの出来事でも一分間もかからん内に、世界中へ広がるというような便利な世の中でありますけれども、昔は皆こう口コミと申しまして、口から口へと伝わって行くのですが、蓮如上人のご病気がいよいよ重くなった今生のお別れが近づいたというようなことが、日本中へこう響き渡ったわけであります。なにっ蓮如さまが悪いのか。ご病気は重大なのか。我も我もと日本中から、山科へ山科へとお同行方が集まりまして本堂といわず、境内といわず道路まで人出人出埋るような有様であります。だから、二十三日の日に重ーいご病気でありますが、「この大勢のお同行方が儂を心配して、皆がこう遠方から集まって儂の病気が如何がと心配をしておってくれる、このように大勢の人が、儂を思うて集まって来たものを、何にも言わずに、この世を去って行くわけには参らん。駕籠の用意を致せ」、「こんな駕籠の、用意を致せというようなことを仰ったとて、あなたはこのようなご重病で、とてもそんな駕籠にお乗りあそばすことはで」「いやいやいやいや全国から集まって、儂の往生の一大事をの、心から案じてくれるお同行方に、ご挨拶をせずには死んでは行けんわい」。無理やり駕籠の用意をさせられまして、その駕籠の上にお乗りあそばしましたが進行方向に向かって後ろ向きにお座りになる。四方八方から見えるようにと、後ろ向きにお乗りになりまして駕籠の垂れを全部上へ上げて、誰にでも拝めるようなお姿に、おなりあそばしてそろそろそろそろと、本堂の中から境内から道路まで、「長ーい間色々世話になったのぉ。お念仏を忘れるなよ。この度は間違いなく彌陀の淨土に往生してくれよ。儂を裏切るなよ。儂は待っておるぞ。この度往生の一大事を為損じたら無量永劫取り返しのつかぬ一大事、この世において御救けに与らなんだら、無量永劫仏になる道はないぞ。あの華厳経のお言葉のように、この身今生において度せずんばさらに何れの生においてかこの身を度せん。一大事じゃぞ。油断なく、聴聞をするじゃぞよ、念仏してくれよ」と、ずーっとお廻りをあそばしまして、ようよう病床へお返りになった時はもうぐったりとあそばし、何にも仰らず時たま、思い出いたように南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。お念仏をお唱えになっておりますと、空善坊という弟子がありまして、その空善坊が、「お上人さま、私が可愛がっておりますその鶯がおりますが、よーく鳴きますので、まーお慰めにもなりましょうから」と、籠に入れた鶯を枕辺へ持って参りました。これがまたよーう鳴く鶯、ホーホケキョ、ホーホケキョ、思わず涙の中に蓮如さま「おお鳥翼でありながらようこそ教えてくれるの。法を聞け、法を聞け。鳥翼ですらもこのように鳴いてくれるのに人間と生まれながら、仏法聞かん者はあさましいぞ。仏法は聞かないかんぞ。しかし空善や、この籠の中に入れておくことはのぉ、丁度牢獄に入れておくようなものじゃ。可哀相じゃ。あの広々としたあの薮へのぉ、逃がいてやってくれ。自由の身にしてやってくれ」。仰るので、空善が籠の戸を開きますと、喜んで蓮如さまのお休みになっておるそのお座敷をあちらからこちらからへこちらからあちらへと、飛び交ようて軈て、薮の中へターッと入って参りまして、あちらこちらと、ホーホケキョ、ホーホケキョ、鳴いてくれるので、「あーありがたいな。尊いな」と、念仏唱えておいでになりましたが、えー、先般お話しを致しましたが、この、吉崎の本堂が焼失を致しまして、再建をしようということになりました時に、お使いに参りました下間法橋が、この長者と碁を打ちました碁の争いから、待て待たん待て待たんの争いで遂に刃傷沙汰を致しました。御本堂もなかなか建ちませんし、この豪族にもお取り持ちを願うことが困難な状態になりました。蓮如上人は非常にご立腹をあそばして、「この重要な用件をもってお願いに行っとりながら戯れの碁で争うとは何事、刃傷沙汰とは何事、お前のような不埒な奴は七生が間の勘当である」。こういうことでこの下間法橋が、一向一揆の時の総大将となりまして、下間安芸法眼と名乗って、この北陸中を治めたわけでありますが、この法眼が、度々蓮如さまのお赦しが受けたい、勘当を赦いて頂きたい、こういうのでお弟子を介しまして、蓮如さまにお願いを致しますと、蓮如上人は、「下間のような不埒な人間のことを、口にしたり仲介の労を執るような者はそれまた勘当である」。こういうようなことで何度、お願いに参りましてもお赦しがなかったわけです。ところうがいよいよ今生のお暇乞いと聞きまして、お命のある内に、赦いてやったぞよ、堪忍したやったぞよとのお言葉を受け賜りたいと、馳せ参じたのでありますが、そういうような事情がありますので誰一人、取り成す人がないわけであります。止むを得ませんので土足のまま植え込みの中から、蓮如さまのお姿を拝みながらホロホロホロホロ涙に暮れて泣いておりました。ところうが、蓮如さまの方からお弟子に、「あの下間法橋はどうしている。あの法橋はどうしているぞ」、「お上人さま、下間法橋のことを言えば言うた者まで義絶をすると仰って、皆が恐れを抱いて仲介の労すら執ることができませなんだが、その下間法橋は、目通り叶わんと、あの植え込みの中から、あなたのお姿を涙とともに拝んでおります」、「法橋をここへ呼んでくれ、法橋をここへ呼んでくれ」、「お赦しですか、お赦しなさるんですか」、「いやのぉ、あのような不埒な者じゃで儂は勘当したのじゃ。しかしのぉ、いくら不埒な者でも大慈大悲の御仏は、哀れな者ほど救わにゃならんというが、大慈大悲の御こころじゃ。あのような不埒な者も命終われば軈てお淨土へ往生をするであろう。この蓮如も参らして頂けば、お淨土には怨讐を超えて佛佛相念と申しての、皆仏になって、拝み合わねばならん身じゃ。それじゃぁ、命のある内に、仲を直いて儂は死んでいきたい」、思わずお弟子が「法橋殿、お赦しが出たぞーっ」、思わず知らず土足のままのむ暇なしにウアーッと駆け寄って参りまして「お上人さまーっ、このような不埒の法橋を、お赦し下さるのでございますかぁ。到底叶わんことと諦めまして、植え込みの中からあなたの御往生の有様を涙とともに、眺めておりましたが、お赦しでございますかぁ」、「法橋や、義絶をしたのも慈悲じゃぞよ。赦すのも慈悲じゃぞ。お淨土へ往生したならなぁ、お前も儂も仏になる。皆拝み合わねばならぬ世界じゃ。じゃから仲を直いての、儂は死んで行きたいのじゃ」、「お上人さま、それじゃ私は元の下間法橋と、あなたのお弟子にして頂きます、安芸法眼というような名前は今日限りやめまして、北陸中の百七十万石の知行を全部本願寺へご寄進申し上げる」。この実如上人、蓮如上人の御長男から三代の間、北陸中の百七十万石の知行が、本願寺の知行になっておりました。ま、そういうようなことで、遂にこの法橋赦されて、涙とともにお念仏を唱えておりますと、他のお弟子に「何かものを読め」、「何を読みましょう、この机の上にあなたのお書きあそばした御文さまがございますが、こりゃぁ『末代無智の御文』でございますがこれを読みましょ」「ああ、末代無智はありがたい。読んでくれ」、そのお弟子が、末代無智の、在家止住の男女たらんともがらを、こころを一つにして、阿弥陀仏とふかくたのみまいらせて、さらに余のかたへこころをふらず一心一向に佛たすけたまえと、もうさん衆生をばたとえ罪業は深重なりとも、かならず阿弥陀如来はすくいましますべし、これすなわち第十八の念仏往生の誓願のこころ、一言一言、「やれ尊や」、「やれありがたや」と、軈て蓮如さまが、儂が書いた御文じゃ、儂が作った御文じゃ言わずに、「御文は彌陀の直説じゃのぉ。十劫已来呼んで下さる大慈大悲の親さまの呼び声じゃ。あーありがたいの、もう一度、読んでくれ、もう一度読んでくれ」と、三度読みまして四度目の、御文さまを聞いておいでになりましたら、「今生のお別れじゃ。子供たちを枕辺へ呼んでくれ」。御一代の間にお子様は二十七人あったそうです。えりゃこと子供がある。蓮如さまは家庭的には恵まれず、五人子供産んではお裏方が亡くなり六人産んでは、また死なっしゃるということで、次から次へと、お裏方が、変わったわけでありますから、二十七人あったとて別に不思議はありません。そのお子様の据わっていかっしゃる中に、蓮如さま、誠に哀れなことでありまして、本願寺の八代目の善知識でありながら、子供のオシメまでお洗いになさったのです。如何に難渋を極めた御一生か。如何に波瀾万丈を極めた御一生か。これも偏に潰れかかった念仏の教えを、日本中に弘めたいのお考えから、転んでは起き転んでは起き、大慈大悲の親さまのおこころに支えられて、大事業を成し遂げられたのであろう。お子様を枕辺へお呼びになったのが僅か五人であります。亡くなった方もあれば、遠方へ行っていらっしゃる方もあって、その五人のお子様が枕辺にお座りになりますと、今か今かのご重態の中から、「かまえて」とこう仰った。「かまえて」ということは緊張しなさい、座り直いて襟を正せ、ということであります。「かまえて、兄弟仲良くすべし。信心あらば兄弟自ずから仲良くするは当然なり。これまた、宗祖親鸞聖人の御教繁昌するはもちろんなり。兄弟仲良うしてくれよ。仲良うするのには信心がなくては仲良くでけん。信心のある人々ならば、どんな他人でも仲良うできる。御同朋じゃ御同行じゃ。だから信心あらば、自ずから兄弟仲良くするということは当然のことじゃ。そのことがそのまま親鸞聖人の御教、念仏の教えが、繁昌するはもちろんである」。お聞きになったお子様方はホロホロ涙に暮れながら、深く心に、このお言葉を、しかと抱き締めて、あぁーっと頷かっしゃった。それをお眺めなさった蓮如さま、こっくりと頭下げて、あぁ......ええことを言うてくれたええことを考えてくれたと、こういうような思し召し、人間死す時の言や尊し「軈て我々も今生のお別れが近づいて参りましたが、死ぬ時だけは立派なことを言うて、死んでいかねばならんと思いますが、このようなすばらしいことを仰せになりまして、いよいよ、今生のお別れが近づきました。「もう一度」というので、御文さまを読んでおりますと、「たとえ罪業は深重なりとも、必ず弥陀如来は救いまします......べし......」とお言葉が、終わるか終わらん中で、微かに「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と、お念仏をお唱えになって、お念仏の声の絶えた時が早今生のお別れでありました。色々とお話を申して参りました。まだまだお話をすべきことはありますが、まぁー蓮如上人の御一代を、考えてみますると、御開山様も御難儀でありましたが、それにも勝るとも劣らん、波瀾万丈を極め怒濤逆巻く波の中で何度波をかぶって、沈みかけさっしゃったかわかん中を、お慈悲に力づけられ、お念仏に恵まれて力づけられた御蔭で、転んでは起き転んでは起き、この御一代に潰れかかった浄土真宗を御開山御在世当時のように、盛んにして下さったということが、蓮如上人の御蔭さまであると、いうことを思えば、あーほんに親は苦をする子は楽をする、苦労造作はあなたにさせて楽はこの身が頂くとは、ごもったいなやありがたやと、お感じなさったお同行は、あぁ腹の立つ中欲の起こるその中から、摂り抱いてはよろこび、摂り抱いては南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と、お念仏唱えさせて頂くのが、何よりの肝要と申すものでございます。まずこのまま......。
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Audio Video Material A2-1, A2-2, A2-3, A1, A3-3, S1, S2 and S3 :
祖父江省念師A2-1: 節(抑揚)について (.mov, .rm, .aif, .mp3)
A2-2: 八歳でした初めてのお説教について (.mov, .rm, .aif, .mp3)
A2-3: 「儂から佛様をとってまったら何も残らん」 (.mov, .rm, .aif, .mp3)
A1: 人々を導く「説教師」になると、はっきりと決意された時のお気持ち (.mov, .rm, .aif, .mp3)
A3-3: 美声、話術、そして、節まわしについて (.mov, .rm, .aif, .mp3)
S1: 節談説教『親鸞聖人伝』から - 雪の中の石枕 (.mov, .rm, .aif, .mp3)
S2: 節談説教『親鸞聖人伝』から - 我が子善鸞に面会許さず (.mov, .rm, .aif, .mp3)
S3: 節談説教『親鸞聖人伝』から - 山伏弁圓 変わりはてたる我が心かな (.mov, .rm, .aif, .mp3)
U: 補足音声資料 U「受け念仏」の例 - 「受け念仏」の例として、30秒弱の非常に短い音声資料 (.aif, .mp3)

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