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拙稿の英訳 in English
Macaronic:日本語と英語がテキストとして同一頁上に混在しているページ。
以下は補足資料と補足説明的ページ:

List of Content of Fushidansekkyo Written Material

「口伝の蓮如」

Fushidansekkyo Written Material
1-a-456

「口伝の蓮如」第四話 第五話 第六話

Text Encoding Japanese EUC
これらの資料に記しましたのは、あくまでも私が私の耳で聞き取れた範囲のことばです。繰り返し確認作業をいたしましたが、それでもなお聞き違えた言葉と聞き漏らした言葉があるかもしれません。そして、節談説教の一席一席の「一回性」ということを念頭にして、私の耳に聞こえたそのままを記しました。
省念師の節談説教の資料
祖父江省念師「口伝の蓮如」全5巻 全十話から 第四話 第五話 第六話

第四話 本願寺焼き打ち

どうどうどうどうと参詣が集まりまして、本堂といわず境内といわず押すな押すなの参詣を、何事やらんと門前を通りかかった叡山の惡僧どもが、叡山へ立ち返るなり、根本中堂の鐘をゴーンゴーンと打ち鳴らし、三千坊が何事やらんと集まりますと、議長になった年をとったお坊さまが、「どーもこの頃蓮如がまた、念仏を広めておるが誠に、他宗他門の悪口を言うたり、念仏の教えしか助かる道がないというような話をしておるそうじゃ。こりゃぁ怪しからんことであって、何とかしなければならんが、この蓮如を流罪にするよう天皇陛下に上奏文を書こうと思うが如何がじゃ」というような、思ってもみないようなことの話が進みまして、喧喧囂囂あちらでもこちらでも賛成だ反対だと言うような声が盛んに上がっておる中で、東塔無動寺のご住職蓮如上人が御師匠様と仰いで、叡山で勉強学問をあそばしたその御師匠様が、「暫く待たれよ、暫く待たれよ、何が故ぞ蓮如を流罪にしなければならんのか、流罪に致す理由は何であるか、お答え願いたい」、仰せになりますと、座長が「いやぁ蓮如がこの頃本願寺において報恩講を勤め押すな押すなの参詣の中で、他宗他門の悪口を言うておる、聖道門は駄目じゃ、淨土門でなくちゃ助かる道がないと悪口雑言をいうておるという噂じゃ」、「なにっ、そんな噂という噂で何故天皇陛下に流罪にしてくれと上奏文を書こうというは以ての外じゃ。証拠握ったその上ならばいざ知らず、唯噂で流罪にしてくれなんぞというような上奏文を書くなんということは以ての外じゃ。儂は判は押さんぞ」と、力み返されるので、それじゃあ、蓮如が話いておるその座へ、自らが参らしてもろうて同行に化けて、もしもや他宗他門の悪口雑言を言うておるならばそれを証拠とし、上奏文を書こうじゃないか、明日はお前とあれとこれとお前とが、蓮如の話を聞きに行けということになりまして、いよいよ蓮如上人のお話の中に万が一他宗他門の悪口雑言一口でも言うたならば、それを証拠として流罪の申請を致そう上奏文を書こうということに話が決まったわけでありますが、ありがたいことには御師匠様は蓮如さまの御身をお案じあそばしてお手紙を書いてお使いに持たして来られました。読んでみるというと「明日はのぉ、お前の言質を取ろう、間違ったこと一口でも言うたならばそれを証拠に、流し者にしてくれという上奏文を書こう他宗他門の悪口雑言一口でも言うたならば承知はせんというので、明日はのぉ、叡山から数々の坊主がお前の説教を聞きに行くのじゃ。如才は無いだろうけれども注意の上に注意をしてお話を致せよ」というありがたーいお手紙を下さったのであります。思わず知らず涙にお暮れなさった蓮如上人、東塔無動寺の方向伏し拝みながら「御師匠様、ありがとう存じます。弟子を思う御師匠のお気持、深く感銘を致しますが、何で私が他宗他門の悪口を申しましょうぞ。唯本願の広大さ、南無阿弥陀仏のありがたさ、そりゃぁ唯お話を致しておりますることじゃから、何卒御心配下さるな」と、お返事を書いてそのお使いに持たして、返らっしゃるわけでありますが、あくり日になると頬被りをしたり、顔に鍋炭を塗ったり、お同行に化けた叡山のお坊さまがあちらにもこちらにも参っておるのがありありと蓮如さまにはわかるわけ。あー、あれは叡山のお坊さまじゃ、あーこちらにおるのは叡山のお坊さまじゃと、ご覧あそばして相も変わらず本願の広大さ、如来の慈悲の深さ涙に暮れながらお話をあそばすのでありますが、またぁあくり日も大勢の惡僧どもが、証拠握ろうと参詣をしておりますが、一言もそういう間違うたことは仰らんので、もーう鬱憤を晴らす場所もなしプンプンになってこの惡僧ども叡山へ戻りました。いよいよ今日は二十八日御満座である。大勢の人々が感涙に咽びながら、御開山御一代の御苦労をしみじみと味わいながら、よろこびよろこびいよいよ御満座が終わりまして、やれやれ七日間の報恩講もこのように盛大に営むことができた、一重に仏祖の御みょうゆうじゃと、涙に暮れて蓮如さまご満足でその夜お休みになる。立っても居てもい堪らん悲しい思いをした、本当に腹の立った叡山の惡僧どもが、手に手に松明を持ちまして三百人の惡僧どもが、真夜中に本願寺を焼き討ちに参ったわけであります。めったやたらにあちらへ火をつけこちらへ火をつけ、一夜の内にあの大本堂からお庫裏から鐘楼堂から山門が、皆灰燼に帰してしまうわけ、「さぁ蓮如を殺せ、真影を壊せ」というので、もおこりゃ蓮如さまのお命も危ないというようなことになった時機転をきかしました下間法橋が、火わねの中へ飛び込んで行きまして御真影さまを背に背負うて、ようやくのこと逃げ出しましたが、置き場がない。薮の中へお隠しもして上から筵を被せてこの御真影さまを守り、蓮如さまを廃屋の中へ入れお隠し申し上げたので危うくお命が助かったわけでありますが、とうとう本山は一夜の内に灰燼になし焼け野原になった。あー情けないと、涙にお暮れあそばした蓮如さま、下間法橋坊やら佐々木如光に伴われて、御真影さまの安置する場所も無し、まぁまぁ一時、下間法橋の館へと、逃げ延びてお出でになりまして御真影さま前に、夜通しお通夜をあそばす、「私どもが守っておりますから、お休みあそばせ。どうぞ暫くお休み......」「いやいや、御真影さまが、このようなことになってな、何で寝れようか」と、夜中迄このお通夜をしておいでると、御本山が焼けた、御本山が燃えた、いうので本山へ馳せ参じまして、眺めてみるともーう見渡す限り全部燃えてしまったので、オゥオゥオゥと泣きながら、下間法橋の館へ尋ねて参りましたのが堅田の源右衛門というお同行。何ということでござりましょう。いくら末代とはいいながら自分らぁの宗派が段々潰れて行く。盛んになる念仏を消そうなんぞの覚悟から、蓮如さまを殺そう、御真影を壊そうとは何事であるかと、泣いておりますが、「お上人さま、お命があれば大丈夫、御真影さま御安泰なればまた本堂は建ちます、どうぞご心配下さるな。まぁーこのような有様では、御真影さまの御安置の場所もごさいません、私は村へ帰りまして、お同行方と色々相談の上、御真影さまお迎えに参ります」、「こんな夜中に」、「いえいえ、いくら夜中でございましても、この源右衛門には大悲の親さまが夜ともなく昼ともなく、付き添い詰め御護り詰めでござります、たとい石に躓いてばったり倒れたが今生のお別れになろうとも、何時もかもがこの源右衛門は大慈大悲の親さまの、懐の中で寝起きをしております、御心配下さるな。私一人が帰って行くのではない。御開山さまは御臨終のその時に、わがとしきわまって淨土に還帰すと雖も、和歌浦わの片男波の押しかけ押しかけて返らんに似たるものか、一人居て喜ばば二人と思うべし、二人居て喜ばば三人と思うべし、他の一人は親鸞にて候ぞ。この源右衛門が細々念仏しながら我が家へ戻って行きます道は真っ暗ではございますが、大慈大悲の親さまは付き添い詰めばかりか、細々ながらよろこぶ念仏の声ある所ぅに、御開山様も他の一人は親鸞じゃぞぉー、お前があー喜んでいる傍らに親鸞も共に念仏しておるとの、御言葉を思いますれば、いくら年を取りましても、いくら道は真っ暗でも何がぁ恐れを抱きましょうぞ」。よろこびながら立ち去って行く後ろ姿をご覧になって、「あー真の信心、金剛堅固の信心を決定した同行は尊いなぁ、如何にも殊勝じゃなぁ」と、涙の中に念仏をしておいでになります。まぁしかしながらここにも何時迄も安泰の地ではない。討ち損じたと、くしゃくしゃして戻ったあの惡僧どもが、嗅ぎ付けてここへまた攻め寄せて来るは必定のこと、何処ぞ安泰の地をとお考えになっておりますと、堅田の源右衛門から使いが立ちまして、私の住んでおります琵琶湖の周辺が誠に寂しい処に住んでおりますから人目にも付きませんし、蓮如さまがお出でになったり、御真影さまお迎えするは究竟の場でござります。えーどうぞ、この源右衛門の館へお出で下さるようにというお使いが立ちましたので、昼の内は目立つから夜が真っ暗になった夜道を、堅田迄御真影さまをお伴をしようと、いうことになりましてそのあくり日、真っ暗になりました真夜中に、下間法橋坊が御真影様を背に背負い、佐々木如光という侍が先頭に立ちまして、蓮如上人、御真影の後から南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と小声に念仏しながら、お出でになるのでありますが、丁度やぎんの底と言われる谷間へおかかりになります。これから八丁の間が誠に危険千万な土地じゃ、気を付けて参ろうぞとそろそろそろそろと歩いてお出でになる真ん中頃迄お出でになると、四方八方から、ワァーッと攻め寄して参りましたが叡山の惡僧ども。蓮如上人向かいまして大長刀を振るいました、この坊主が一刀両断蓮如さまをぶち切ろうというので、大長刀を振り回しましたところが、幸いなるから蓮如上人の肩を滑りました長刀が、下へ落ちるなりお気の毒にも蓮如上人の御御足の指が二本切断をされたわけ。ウァー声をお上げになる、シマッタァーというので返すこの長刀で蓮如上人を真っ二つに切ってしまおうと、振り翳したその瞬間に、前に立っておりました佐々木如光がいきなりこの坊主を袈裟懸けにブサーッと切った為に蓮如上人の危ないお命が助かりました。そこで佐々木如光やら下間法橋が、命まとうに奮戦を致します。余りの勢いにこの坊主ども我も我もと、蜘蛛の子散らすような有様で逃げて行きまして、やぁれやれと思し召し、ところが蓮如上人足が痛うて痛うて、どうなさったのであろうかと思えば足の指が二本切断されておる。これは大変なことだと、臨時に仮の包帯を致しまして、ここに留まっておるわけには参りませんから、御御足は痛うございましょうがさぁ私の肩にお掛かり下されと、そろそろそろそろと歩いておいでになると、向こうから松明やら堤灯やら大勢の者がワイワイワイワイと言いながら近づいて、「うぁーっ一難去ってまた一難か、また大勢の者が攻め寄せて来たのじゃな」と、驚いておいでになると、先頭に立った堤灯点いた御方があーお上人さま、ここでござったか、お迎えに参りましたと、言われてあなた方は何方敵か味方か何方でござると、佐々木如光が尋ねますと堅田の源右衛門の、とも同行であり村中の同行が御真影をお迎えに参ったのでござります、「あーぁありがたい。地獄で仏じゃのう。あーぁありがたいことじゃ」と、お歩きなさろうとすれば足が痛んで歩けん。あーお労しいお気の毒じゃと、お同行方が両方から肩を貸しましてそろそろそろそろと堅田へとお出でになりました、ところが、源右衛門の家たら六畳と三畳しかない掘っ立て小屋。御真影さま御安置する場所もなし。蓮如さまのお休みになる場所もない。困り果てて、まま、六畳の方で源兵衛親子二人が寝まするから、あなたはこの三畳のお部屋でご不自由じゃがお休み下さるようにということで、暫くの間ご逗留をあそばすが、御真影の御安置の場所がない。何処へ御安置するや、えーそれはそれはもうちゃんと考えてあります、どうぞこちらへお出で下され、お伴して下されと、琵琶湖の波打ち際の小高い丘の所ぅに大きな穴が掘ってある。まぁ誠にまぁ危険なことでござりますので、ここならば大丈夫でござり、暫くの間、誠に御無礼ではございますけれどもこの穴の中でどうか暫し御辛抱下されと、穴の中へ御真影を入れまして上から砂を被せ、目印に、笹の葉を二三枚立てかけまして、「お上人さま、ここでお勤めをなさっても声を上げてお勤めをあそばしてはいけません。朝な夕な景色でも眺めるような有様で、口の中でお勤めをして下され」と、言われて、朝も昼も、毎日日日が蓮如さまは「あー一体どういうことになるじゃろ。御真影さまはこんな砂の中で」。毎日が、苦しい日暮しでございましたが、その噂を聞いたのが三井寺。同じ宗派でありますが叡山と三井寺とは長い間仲が悪い。叡山がそのような不埒なことを、するならば、俺が、御真影を預かってやろう、蓮如上人も匿ってやろうと、救いの手が伸びて参りました。渡りに船とお喜びになりました。ようやく御真影を掘り出しまして大勢のお同行方が、この御真影さまのお伴をして三井寺へと、歩いて参りまするとまたぞろ叡山の惡僧どもに襲われ、大勢の犠牲者が出たわけでありますが、命終わっていかっしゃるお同行方は、何で、死が辛かろう、命終われば安養淨土の誕生日待って下さる親さまの、お膝下へ参らして頂きますと、息絶え絶えの中から南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と、お念仏しながら死んで行かっしゃる。「おぅおぅおぅおぅ軈てこの蓮如もあとを慕うて参らして貰うてお淨土で御礼を申すぞ。どうかなぁお淨土へ参って来れよ」とようやくのこと、三井寺へご到着になりました。暫くご逗留をあそばしたのでありますけれども、念仏弘めんならん、全国に念仏を弘めにゃならんという思し召しから、この三井寺を後になさる、その時の御文が「江州志賀の郡、大津三井寺の南別所辺より不図しのびいでて、越前・加賀を経回せしむ、年来虎狼の住みなれし、この山中をひきたいらげて一宇の坊舎を建立する」という、有名なこれが吉崎御坊をお建てになるという御文でありますが、こりゃまた、不思議な出来事がありまして、この吉崎御坊というが堂々と立派な本堂が建立されるのでありますが、そはどういうことが不思議なことじゃ、まぁ誠に珍しいことじゃと申し上げるのは、次のお座でまたお話を申し上げましょう。

第五話 本光坊の報恩

吉崎へお出でになりましたところが、あーあちらこちらと、お寺を建てる、別院を建てる、用地が何処が良かろうかと思し召して、あちらこちらとこう歩いておいでになります。ところうが道の真ん中に大きな鹿がおりまして、蓮如さまがお出でになるとムクッと起き上がりまして、後ろを向きながらまた歩き歩きながら後ろ向く、ついて来いよと言わんばかりの有様に、この鹿の後を随うてお出でになりますと、誠に結構な景色のいい所へ、「ああここに、まぁ御本堂を建て庫裏を建て山門建てたらよかろうな」と、ふっとご覧になると今迄案内をして参りましたような鹿が、姿が見えん。これはどうしたことであろうかと、不審に思うておいでになりましたが「これこそ勝地である、ここに、まぁ別院をこしらえる、何よりいいとこじゃ」と思し召して、色々とあちらこちらと話を当たっておいでになりますと、この山全体を持っております豪族がおるわけであります。そこへ蓮如上人わざわざ足をお運びになりまして「あの処ぅに、お寺を建てたいと思いますが、えー土地を、ご都合して頂けますまいか。また、材木も、沢山にいることでございますが」と、いうようなお話をなさるとこの豪族が「あぁー建物をお建てになる材木は山に生えております。先祖代々、私の領地になっておるこの山の木をお切りあそばして、どのような大本堂でもお建て下され。土地も提供を致しましょう。思う存分、どうぞ立派なお寺を建てて下され」ということになりまして、いよいよこの、吉崎御坊が長年の月日を費やしまして、立派にこう出来たのであります。ここにご滞在をあそばしまして、あちらこちらとお話をしてお歩きになるのでありますが、ま、至る所ぅに、ま、仏法をよろこぶ方々がありまして、誠にえーこのような尊い方がお出で下さって、仏とも法とも知らん我々によくぞ教えて下さると、あちらにもこちらにも御信者が段々と増えて参りました。えー、丁度この付近に住まいをしておりました、御方が、仏法というようなものは、こりゃまぁお坊さまのええころかげんの話だなんというようなことを言い触らすような輩がおりましたが、それが、図らずも、千尋の谷へぶち落ち死にますので、大勢の人々があんな仏法に仇を、なすような者じゃから、罰が当たったんだというようなことを、お聞きになりまして蓮如上人「いやいや仏様はどのようなことがあっても罰をお与えになるということはない。あの人の不用心からこういう結果になったのじゃからそんな悪口を言うてはいかんぞよ」と、仰せになる、皆が「なぁーんじゃあんな仏法の悪口を言われながら、その者までもお庇いなさるとはなぁ」と言うので、段々段々と吉崎の御坊へ参詣をする人が増えて参りました。ところうが、その中に、どうもこの本堂が立派にこう建ちまして、えー誠に皆が喜んでおったんですが、不覚にも出火がありましてこの本堂が全部燃えてしまったわけです。その時にですね、蓮如上人は奥の御殿で教・行・信・証・真仏土・化身土六巻の御聖教の中、「証の巻」というを繙いてあーうれしやありがたやと、御聖教を読んでおいでになりました。ところうが火事じゃ火事じゃの声に、驚いて飛び出しなさったところうが、炎々鼕々と燃えておる、「あーっしまった、しまった、申し訳のないことじゃ」、「どうなさったのですか」、「いやぁあの机の上に証の巻を忘れて来たのじゃ。御開山様に申し訳がない、どうしても取って来なけりゃならん」と、火われの中へ蓮如上人飛び込もうとなさったのをお弟子が「いやぁぁそれはなりません。このような火わらの中へ飛び込みあそばせばあなたのお命が」と言うので、とうどうお弟子方に止められて入ることができん「あー情けない、申し訳はない心血を注いで御制作を下さった、この一巻が燃えては、御開山様に申し訳はない末代のお同行の往生の道標が無くなる。どうして申し訳が立つじゃろ。何と謝るじゃろ」と、泣いておいでになりますと、お弟子の中に本光坊というお弟子があった、「お上人さま泣いて下さるな。私が証の巻を取って参......」「いやいやいやいやこのような火わらの中へ飛び込んだら命はない。とてもその御聖教を手にすることもでけん。まぁまぁ仕方が無い。儂がお淨土へ参らして頂いたその時、心ゆく迄御開山様にお詫びをする、謝り果てるから、そんな危険な......」「いえいえ、受けた御恩の万分の一、報ぜさせて頂く時が参ったのです。御心配を下さるな」と、人の止めるのも聞かばこそ、衣の袖を襷に掛けて火わらの中へ飛び込んで参りまして手探りであちらこちらと、ようやく奥の書院へ参りまして、机の上に置いてありました証の巻に手がかかりましたが、バラバラバラバラバラバラと落ちて参ります火の粉の為に、最早逃げ出すこともでけず、どうすることもできず、ウァーせっかくこの証の巻を手にしたのに、どうしたらよかろうか、どうしたらよかろうかと思う中にも、頭の上から身体中へ火の粉がバラバラバラバラ落ちて参ります。思わず知らず本光坊は持っておりました小さな刀を抜きまして、我が腹を一文字にかき切りまして、声絶え絶えのその中に、この御聖教を腹の中へ押し込む......。「如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし、師主智識のぉぉ恩徳を、骨をくだきて報......すべし......」。俯せになりまして、遂に絶命を致しました。ようやく、火事が治まりまして、焼け跡を調べてみると真っ黒に燃えた、本光坊が、起こいてみれば、腹の中には御聖教が捻じ込んである、それは少しも変わらず、焦げてもおらず、焼けてもおらず、命まとうに守りましたこの証の巻、一名「血染めの聖教」と、申すのでありますがこの姿をご覧なさって蓮如さま、真っ黒けに焼け果てた本光坊の、この身体にしがみついて「本光坊、口では御恩報謝、お慈悲じゃ、誰しも言うけれども、ようこそ命まとうに御恩報謝の大行を勤めてくれた。今頃はお淨土に往生を遂げて大慈大悲の親さまに『おお本光坊よ、お前の往生するのを待ったぞよ。十劫已来今日迄今日は来る身になるか今日は参る気持ちになるかと待ち兼ねたが、今日はお淨土のど真ん中でお前の姿を見るにつけ五劫の思案も打ち忘れ永劫の修行も打ち忘れ、心底よりうれしいわや』と、お褒めを蒙っているであろう、軈て蓮如往生致したその時には、『ようこそ本光坊、御聖教を命まとうて守ってくれた。お前は亡くなったが御聖教は何時迄も斯くの如く厳然と残っておろう、お前の御蔭じゃ』と、心底より御礼を申し上げる時もあろう」と。ようやくその御聖教をお腹の中から引き出されまして、何度も何度も、頂かれまして、本光坊のお葬式をお営みになるのでありますが、このような大伽藍もあっと言う間に灰燼に帰しました。けれども蓮如上人住まう場所はなる民家の内に宿をお借りになりまして、あちらこちらと仏法をお弘めになっている内に、再建の話が出て参りました。もう一遍、本堂を建てようじゃないか。もう一遍、山門から、鐘楼堂からおちゃじょを拵えようじゃないかという気運が高まりまして、初めの本堂をお建てになる時に寄進をしてくれた、山に生えておる材木を切って寄進をしてくれた豪族の手許へ下間法橋が、蓮如さまのお使いとして、もう一度本堂再建がしたいじゃが、お力をお借りはでけんだろうかと、お願いに参ったわけであります。ところうがこの豪族「あぁあぁ本堂の一つや二つは、今山に生えておる材木切れば、何でもないことじゃが、しかしながらそんな話は後回しでいい。あー本堂の一つ二つは何時でも儂は寄進するが、お前と儂は丁度碁の手合いが、同じようじゃから一石打とうか」。言われて下間法橋この大事な用件纏めん前に「じゃ、一石打ちましょう」。一石が二石となり二石が三石となる内に、待ってくれ、いや待てん、待ってくれ、いや待てんという、争いになりまして、刃傷沙汰ということになりました。まぁー寄進どころか、本堂どころか一銭もようあげんと、いうようなことになりまして泣く泣くながら下間法橋蓮如さまの手許へ戻って参りまして事の始終を述べますと、蓮如上人「何事じゃ、このような大事な用件を願いに参りながら、戯れの碁で争うとは何事である、刃傷沙汰とは何事である。お前のような不埒な者は七生が間の勘当じゃ」。とうどうこの下間法橋御家老が、御開山様から勘当されました。仕方がないので、下間安芸法眼という、名を名乗ったわけでございますが、これがまた後の程申し上げる一向一揆の総大将になりました。そうして奮戦をして越前から加賀から、越中から越後迄ずーっと北陸中を手に致しまして百七十万石という、大変な領地を手にしたわけでありますが、この安芸法眼が、これが一番の親方になりまして、農民の方々を味方に致しまして、一向一揆と言われるような大騒動ができたわけであります。蓮如上人はこの安芸法眼が、何度も何度も赦しが願いたい、どうぞ勘当赦いて頂きたい、何度もお願いに参りましてももう厳として、お赦しがないのです。人を介しまして、あのように謝り果てております、どうぞ赦いてやって下されとお願いに参りますと、「あの法眼の仲介に立つ者まで勘当だ」、誰も、もう、取り成す人がないのであります。ま、このような、出来事がありまして、誠にこの大騒動になったのでありますけれども、段々段々と御門徒方が我も我もと力を合わせまして、再びこの吉崎の御坊が再建されるわけであります。これをまぁ中心にあちらこちらと、仏法をお弘めになりまして、軈て、越前であるとか加賀であるとか、ま、御文にも書いてありますが、この越前加賀能登或いは越中越後出羽奥州七ヵ国、席の温まる暇もなし、あちらでもこちらでもと、仏法を弘めてお歩きになるのでありますが、まぁしかしながらこの蓮如上人がおいでのない留守中に、出来上がった大きな出来事が一向一揆という。これは蓮如上人が誤解を受けて、何かその背後には蓮如上人が綱を引いてらっしゃる、尻を叩いてこのような行いを蓮如上人が、煽動されたというような、被害を被っておいでになりますが、そんな時には蓮如上人はここにはおいでんのでありまして、ずーと出羽奥州、ああいう方面を念仏を広めて歩いておいでになったのでありますから、蓮如上人にはなんら関係は無い。じゃがいつのまにか、そのような噂が立ちまして、蓮如上人誠にご迷惑な話。しかしながらそれが、段々段々と噂に噂が出て参りまして、蓮如上人は怪しからんというような、誤解をされる人々があったのでございますが、後の程になると、いやいや、蓮如さまはそのような御方ではない、誠に蓮如さまという方は、高潔な御方であり尊い御方である、「今度は蓮如が来るということじゃから、一つ論判してやっつけてやろう」というような他宗他門の御方々でも、蓮如さまにお出会いすると何か、百年の知己に逢うたような懐かしーい思いが出まして、遂に手を握らずにはおれんことになる誠に不思議な御方が蓮如さまであります。その蓮如さまの御蔭で、あちらこちらに念仏の火の手が上がって参るんですけれども、何故このような一向一揆というような出来事ができたのであろうか。こりぁ昔の一向一揆と申しますのは、年貢が高いとか、或いは政治が悪いとか、どうも領主が怪しからんとかというようなことから一向一揆というようなものが、現われたのでありますが、この一向一揆はまたこれは、全然今迄の一向一揆とは質が違うわけであります。それは、本願寺と高田派の争いということが、発端となりましてこのような一向一揆という、恐ろしーい出来事が始まるわけであります。えーこれは、え、ちょうど、本願寺の御門徒に豪族であり大変な財産家である、ほーそういうお同行と高田派の御門徒との争いから、このような大事が出来たわけでございます。だから決して蓮如上人は、そのような一向一揆を扇動されたとか、或いは綱をお引きになったとかというようなことは、大きな誤解でありますので、どういう訳で、このような大騒動が起きたかということはまた次のお座でお話しを申し上げましょう。

第六話 加賀一向一揆

前席でお話を申したように、普通の一向一揆と申しますのは、えーどうも年貢が多過ぎるとか、或いはえー殿様が怪しからんとかいうようなことから、この一向一揆徒党を組んだああいうような出来事が出来たわけでありますが、これは、この、ちょっと違った一向一揆でありまして、丁度本願寺の御門徒で島田左衛門という方が、ありました。こりゃ非常なよろこびてであります。えー大変な財産家でありますがその娘さんが、この高田派の御門徒である金子新兵衛という方の手許へ嫁っていらっしゃるわけであります。えーところうがこの左衛門が常に思いますのには三国一の婿殿で、何の欠点もない誠に立派な御方であり而も深い信仰をお持ちになって、日夜念仏三昧の日を送っておいでる誠に結構な婿殿へ我が娘を嫁らかいたが、唯一つ残念な事は、あれは高田派である儂は本願寺、なろうことならば、本願寺の門徒になってもらいたい、本願寺は代々お血筋じゃからのぉと、かねがね思っていたわけでありますが、ある日のこと、婿殿をご招待申して、酒宴を開こうということになりました。さぁところうが一方では金子新兵衛一方では左衛門というようなこのよろこびてお二人がお集りで、仏法の話が出るじゃろうというので、本願寺の御門徒も高田派の御門徒もお相伴をさして頂きたいおっかせが蒙りたい、我も我もとこの左衛門の館へ集まったわけであります。さぁそこで、色々と仏法の話が出ました。誠にありがたいお話が出たのでありますが酒のせいもありまして、宴闌になりますと、この舅である左衛門が「婿殿、あなたは三国一の婿さまで誠に立派な御方であり、財産もあれば、また信仰も深い、もぉー、不埒な私の娘が御厄介になったということは何より嬉しいことではございます、行き届かんあの我が娘を可愛がって頂くということは誠に嬉しいことでございますが、玉に瑕と申しましょうか、唯一つ気に食わん事がある。あなたは高田派じゃ、儂は本願寺じゃ。本願寺は御開山のお血筋が代々伝わっておる。高田派には御開山のお血筋は伝わっておらん。願わくばあなたもこの本願寺に変わって頂ければ、もぉう言う事はない、満点じゃと思う」。いうようなことを酒の席とはいいながら、申したものですから予て、金子新兵衛、自分の、こういうことを言われるということは、耐えられん事である何度も何度も今日迄堪えに堪えていた、舅じゃからと思うて而も年を取っておいでると思うて、遠慮して堪えてきたけれどももう我慢がでけん。「お前さんの娘を貰っておればこそ、そりゃぁ私が欠点だらけの人間であると言われるのと、完全な婿殿ではある三国一の婿殿ではあるけれども、『あなたは高田派じゃ儂は本願寺じゃ』、何か高田派が劣ったようなことを仰る。何を言うたとて、高田派は御開山様が自ら開闢おあされた、御開山がお建てになった一番古ーい本山が高田派じゃないか。その高田派の教えが違っておればとにかく、同じ御開山様の教えをよろこんでいるものを、本願寺が優れておる、高田派は劣っておるなんぞというような、ことを言われては私ゃぁ我慢はでけん。娘を貰っておればこそ遠慮をして今日迄頭を下げてきたが、女房返しゃ赤の他人じゃないか」。腹を立てまして金子新兵衛我が家へ戻って参りました。何の欠点もあらない自分の女房に向かって「今日限りこれ迄のご縁と諦めて、帰ってくれ、戻ってくれ」、「何を仰る。私が行き届かんことがあるならばどうぞ言うて下され。間違った点があれば教えて下され。私はあなたの女房であり二人の子供までおりますのに、何故私が帰らにゃなりません何故別れにゃいけません、そんなことを何にも聞かずに何故我が家へ戻れましょうか在所へ戻るわけには参りません、そんなことでは女の道が立ちません、何がいかんで返されるか理由を教えて下され」。「外ではないがの、お前の親父さんは俺が高田派じゃから劣っておる、本願寺が優れておると今日迄何度聞いたか。そりゃー何時もかも我慢をして、教えが違えばいざしらず、同じ御開山様の教えを派が違っていようと高田派であろうと本願寺派であろうと関係はない同じ淨土へお伴さして頂くとよろこんでいるのに、あの満座の中であのような侮辱な言葉。今迄堪えて堪えておった鬱憤が、爆発をしたのじゃ。嫌であろうが戻ってくれ帰ってくれ」、「それはあなたの考え違いでございます、私はあなたの女房でございます、なるほど生まれた家は本願寺派でありましても、あなたの手許へ嫁って参れば、私はあなたの女房であれば私もあなた同然高田派の御門徒でござります。どうか置いて下され。どうぞ置いて下され死ぬ迄。高田派の御門徒としてあなたもよろこび私もよろこびこの世だけの夫婦ではござりません。軈てお淨土で再び逢える身になりとうございます、どうぞ置いて下され」と、泣いて頼まれ「あーあ俺が悪かった。なるほどお前は儂の女房じゃ。この家へ来て高田派の御門徒となってくれたのじゃそれをな、ただ、あのような言葉聞いて腹を立てて、何の罪もないお前に戻れとは申し訳のないこと。どうぞ堪忍してくれ」と、一応話が収まったところうへ、左衛門の方から駕籠二挺を用意して「娘返せ、娘返せ」。やって来たものじゃから、「おー返しゃいいじゃろ。返せば赤の他人じゃがや」と、無理やりこの女房を駕籠の中へ押し込みまして、遂に離縁ということになったわけであります。さぁーそうすれば高田派の御門徒はじっとはしておれん、本願寺の方もじっとはしておれんと、ここに本願寺と高田派の争いということになったわけ、ひょっとしたならば血の雨降るのではないかというような大騒動になりまし、丁度国司と申しまして、その国を治めておりましたが富樫之助政親という、御方が所用ありまして京都へ参っておりましたが、国許の大騒動を聞きまして急遽戻って参りました。双方を集めまして裁きを致しました。高田派は一番古い本山、御開山様がお開きなさった本山であるから高田派は古い。本願寺はお血筋じゃからこれまた尊い。じゃがしかしながらどちらが本山でどちらが末寺ということはない。双方とも同じ親鸞聖人の教えを仰ぎ、ともに淨土に往生するという教えなれば、双方とも何れが劣って何れが尊いということは言えん、双方とも尊い。こういうような裁きを致しましたところうが、その当時は、あちらにもこちらにも小大名がおりまして、自分の勢力を拡張しよう、自分の領地を増やそう、こういうような野心家が、本願寺の力を借りたならば、本願寺のあのお同行達を味方にしたならば我が勢力伸びるだろうというような、こういう者が惡宣伝を致しまして、この度の国司の裁きは、誠にこれは間違っておる。高田派の方が優れておる本願寺は劣っておる、いうような裁きをしたということは、高田派の豪族があの富樫之助政親に賄賂を使ったのじゃ。そんな賄賂を受け取ってこのような裁きをする、それをまた指をくわえて見とる本願寺の腰抜けどもというような、惡宣伝を致しまして、中には村から村へ村から村へと回状を廻すような者までが出て参りまして、いよいよ大騒動になりました。富樫之助政親討つべし。こういうようなことが越前から加賀から、能登から越中越後迄広がって参りました。まぁー大勢の農民達が手に鎌を振り上げ、大変な大勢の人が集まりました。三十六万とも三十七万とも、こういう大勢の者が徒党を組みまして、五月二十五日から六月の二日迄で総攻撃を、致しまして衆寡敵せず富樫之助は遂に城を枕に一族郎党が皆ことごとく死んだわけです。その時の隊長がこの下間法橋が名を変えまして、下妻安芸法眼となるこれが隊長となりまして、遂にこの北陸中を掌握を致しまして、百七十万石という知行を手にしたわけ。こういうような大騒動がありまして、長い間この安芸法眼が国司になりまして北陸中を治めておったわけであります。だから、蓮如上人は、その当時は、いわば北陸方面からこの東北方面へ足をお運びになりまして、あちらこちらでご説法をしてらっしゃったので、何にもこんな一向一揆には関係が無いのです。ところうが何時の間にやら本願寺の、こういう大勢の人々が富樫之助政親をとうどう滅ぼいてしまった、殺いてしまったと、いうことから、蓮如上人が綱を引いてらっしゃった、いうようなデマが飛びましてそれがまた一犬虚吠ずれば、万犬実を伝ぐるという譬えの如くそれが本当だということになったわけで、蓮如上人は大変なご迷惑を被っておいでるわけであります。えーようやくですね、えーこのことが収まりまして、そして、え、このぉー、下間安芸法眼が国司になりまして北陸中を治めておりました。これが軈て、この蓮如上人のお亡くなりになった後、実如上人から三代の間本願寺の領地になっていたわけでありまして、その当時は本願寺は、お同行にえどうかあげてくれだの、寄付してくれだの言わんでも、この百七十万石の領地があったわけ。裕福な本願寺であったと思うのでありますが、このような出来事がありまして、誠に蓮如上人は、本当にお歎きになりまして、その時に色々とお書きになりました御文を読みますと、「地頭方にはかぎりある年貢所当をつぶさに沙汰をせよ」とか、或いは、「内心に深く他力の信心を蓄え、念仏者として恥ずかしくない生活を致さねば、申し訳はないぞよ」ということから真諦門俗諦門という、お言葉が出て来るわけであります。真諦門と申しますのは往生の一大事、とことんまで安心安堵の身とならねばならんというが真諦門。俗諦門というのは、人間生活をしていく以上は、五倫五常の道を守り、親子が仲良く導き合うて励まし合うてこの往生の一大事を間違うてはならんというここに五倫五常の道を守り、親は親子は子としての歩くべき道を明らかに致さねばならんというお知らせが俗諦門、人間生活、念仏者はどの道歩くかと、こういうことをですね、やかましく仰せになりましたその当時に、お認めになりました数々の御文の中にはこのようなご意見が諸処に表われておりますと同時に、「関屋・渡の船中にては、人をもはばからずこれを讃嘆してはいかん、相手の宿善があるのか宿善がないのか、本当に聞いて下さるか聞いて下さらんかの、その人々の信心を確かめた上で仏法を語り合え」。それはその当時はですね、地頭方と申しましてその土地を治めておる者に、ちょっとでもご機嫌損なうようなことがありますと、念仏をお弘めになることも停止をされる。じゃからさぁー蓮如さまはご苦心をあそばして、大変なご難儀をなさったわけであります。そういうまぁ大変なご難儀の中でありますから、「人間生活は正しくして行け、五倫五常の道を守れ、地頭方にはかぎりある年貢所当をつぶさに沙汰をせよ」、こういうような、こういう御文を数々お書きになったのも、この当時、お書きになったのでありますが、ま、蓮如上人、本当に家庭的には恵まれない御方でありました。誠に、お妃が五人子供を産んでは死に、六人産んでは死に、本当に次から次へとお妃が亡くなっていきます。その中に如勝尼というお妃がありました。この方はたった一人の子を産むとて、大変な難産で、まる一昼夜の間七転八倒苦しんで、ようよう朝、お子さまがお生まれになりましたそのお子さまが、夕景には遂にこの世を去って行かれます。その難産で苦しみなさった如勝尼、産後の肥立ちが悪く軈てこの方も今生のお別れをしていかっしゃる。予てそういうことがあるとお覚悟なさったのか、平生から蓮如上人が御法話をなさる、お説教をあそばすと、高座の下で涙ながらに、「ありがとうござります、私の為に五劫永劫の御苦労があったのじゃ。このごうごうなんきの私を救わんが為の御本願が彌陀の本願であって、彌陀の本願あるから助かるのではない、私を助きょう為の御本願じゃった。ようこそようこそ」と、涙にお暮れになりまして、毎日日日御法をよろこんでおいでになった。この方がこのような哀れ千万な最後を遂げられました。その時に蓮如上人余りにも哀れである、余りにも可哀相だと、お筆をお取りになって、御制作になりましたが、世にも有名な「白骨の御文」。「それ、人間の浮生なる相を、つらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終まぼろしのごとくなる一期なり」、朝生まれさっしゃったお子さまが夕景には早今生のお別れ、この人間の世界へちょうっと顔を出いただけで、亡くなってゆく有様を「水の上に浮いておる泡のようじゃ、幻のようじゃ」。こういう悲しみの中に、お認めなさったのがこの「白骨の御文」。こりゃあ皆が骨上げの時だけに読みゃあええと思っておりますが、蓮如さまのお考えはそうではない、「これを時々読んで、あー世の中はあてにはならん老少不定の世の有様いつなんどき我が身がその身になるやらわからんと、この横着な心に鞭をあてがう考えで、度々これを読んでくれ」。こういう思し召しで御制作になったのが、「白骨の御文」の御文でありまして、真宗のお同行ばかりではありません、他宗他門の御方がお聞きになりましても、ごもっともさまです、その通りでござりますと、涙に暮れて聴聞致さにゃならんが「白骨の御文」であります。だから「人間の世界はまことにあてにならん世の中じゃ、老少不定のさかいじゃ。たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏と深くたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり、あなかしこ」、成る程、ごもっともでございますと、聞く者読む者、唯感激の涙に暮れるより他に道のない、尊ーい御文さまじゃと思うのであります。

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